見出し画像

自由という名の呪い

ライターの友だちが言ってたこと。
「自由になりたい」
という言葉は脳死させる。

ということ。

今回は、「自由になりたい」について
私なりに考えたことを書いてみたい。

自由という言葉は、大きい言葉だ。

何を持って自由とするのか?
何が自分に自由をもたらすのか?

明確な定義が存在していない。

だからこそ、
「自由になりたい」
「自由な人生を送りたい」

を追いかけ続けるのは
罠にハマり続けることと同じなのだ。

自由になりたい…
自由になりたい…
自由になりたい…

例えば、会社員として働いている自分が
「不自由である」
ため、会社を辞めてフリーの仕事を目指す。

誰かに雇われない「自由」に恵まれるけど、
仕事をするもしないのも「自由」

人は、何もかもの自由を手に入れたとき
「本当にやりたいことは何だろう?」
という問いにぶつかるけど、

その答えなんか一生出ない。

言われたことを言われた通りにしかできなくて、
規則・規定守って大人に従順に生きてきたのに

いきなり、
「はい!あなたは今日から自由の身です。好きなことをして好きなようにしてください!」

と言われたところで
何もできるはずがない。

私も実際、「自由」になりたくて、
会社を辞めたけれど
辞めたところで何かできたか?
と言われれば、結局、何をすればいいのか
わからなかった。

本当の自由は、
知識を持ち、
どこで何を、誰とするかを
自分の判断でできるようになることだ。

たかが20代の小童の頭で考えられることなんか
たかが知れてるってこと。

でも、忘れないでおきたいのは、
制限的ではあるが、私たちはすでに自由。
だということ。

自由の反対は必ずしも「不自由」ではない。

住む場所も、仕事も、
誰と付き合うかも、誰と結婚するかも
自分で決められるのだ。

社会や世界を見渡せば、
その「自由」すら手に入れられず、
「自由」を知らず、
誰かの言いなりになっていることすら
気づけていない人たちもいる。

そう考えてみて改めて、
自分の状況を考えたら
「完全ではないけど、私も自由で、恵まれた環境に生きている」
と、私は思える。

自由なんて追い求めるな。
「自由」という言葉には、呪縛性がある。

自由を追い求めることは、
ミイラ取りのミイラと同じことだ。

そんなこと謳ってくる奴いたら、
もう詐欺師とでも思っておこう。

この記事が参加している募集

#この経験に学べ

53,067件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?