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贅沢とは何か〜朝マックで感じる贅沢感の話

先日、休みの日の朝に用事があって外出した。
用事が済んで、ひさしぶりにマクドナルドで朝マックを食べた時のこと。
ふと「贅沢だなぁ」と思った。

マクドナルドのメニューは美味しいけれど「贅沢」という言葉とはまぁまず結びつかない価格帯。
実際、500円の朝マックを食べただけなのに、自分が「贅沢だなぁ」思ったことにちょっとびっくりした。

なぜ私は「朝マック」を「贅沢だなぁ」と感じたのか?
ちょっと余裕があったので、この感覚を深掘りしてみることにした。

その1:朝早く、時間に追われずに、自宅以外で朝食を食べることの非日常感

基本的に朝食を自宅で食べることにしているので、朝マックは私の生活とはほぼ縁がない。私が朝マックを食べる時って、旅行で早起きしてまだ朝ごはんを食べられるお店がなくて同行者と一緒に「じゃあ朝マックしよっか!」みたいな時が多かった。旅行に感じたドキドキワクワクする感覚も非日常感と繋がっている気がする。

その2:「希少な食べ物」朝マックのハッシュポテトを食べられた満足感

朝マックといえばハッシュポテト。「朝マックだけじゃなくて11時以降も普通に食べられればいいのに」といつも思う。
前述のように朝食は家で食べる派のため、当然ハッシュポテトともほぼ縁がない。
どうやらマクドナルドのハッシュポテトは私にとって「朝マックじゃないと食べられない」ということで『希少な食べ物』のカテゴリーに位置づけられている模様。
『希少な食べ物=ハッシュポテト』を食べることができたということに満足感を感じたみたいだ。

そこまで考えた時に浮かぶひとつの疑問。
じゃあ私にとって『贅沢』ってどういう状態?
お金をかけることが贅沢なのか?
たくさん持つことが贅沢なのか?

「非日常感」と「満足感」

自分の心の動きを振り返ってみたときに、「非日常感」「満足感」というキーワードが浮かんでくる。
ひとつ目の「非日常感」は日常から大きくかけ離れたことでなくて、いつもの生活からほんの少しだけはみ出してみるだけで良い。

  • ちょっとだけ足を伸ばしていつもは通らない道を通ってみる

  • いつもなら着ないなと思うような服をためしに着てみる

  • いつもは食べない朝マックを食べてみる

  • いつもはあまりしないようなことをちょっとだけしてみる

案外これくらいのちょっとした変化で十分「非日常感」ってやつは味わえるものだ。

ふたつ目の「満足感」も、ものすごい達成感とか強烈な幸福感が必要かというとそうでもないな、と最近思うようになった。

「なんかいいな」

「なんとなく思ったのと違った…」

「これちょっと綺麗じゃない?」

「ハッシュポテトが食べられてなんだかうれしい」

「もしかしてけっこう好きかも」

それくらいほんのりとした心のリアクションでいい。「なんとなくホニャララ〜」を感じる自分の心に気づくたびに「満足感ゲージ」が増していく気がする。
この「心のリアクションに気づくこと」が重要なんじゃないかなと思うのです。

正直なところ、いつもいつも手に入れたものに対して「満足した」と感じられるわけではない。高額なものを選ぶことでその金額に見合う価値を手に入れられて喜びを感じることは多いし、安価なものを選んでやっぱりお値段なりだなとがっかりすることも当然ある。
でも金額の多少にだけ左右されず、自分が反応するちょっとした心のリアクションをあるがままに感じることが満足感に繋がっていくんじゃないだろうか。

私にとっての『贅沢』の定義とは、「日常生活から緩やかに地続きの非日常感」と「自身のちょっとした心のリアクションを大切にして得られる満足感」をたくさん体感すること。いろんな『贅沢』の種類や定義はあるだろうけど、自分にはこれが性に合っているなぁと落ち着いたのでした。

気づかせてくれてありがとう、朝マック。
またときどきは食べにいくよ、朝マック。

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