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【福島県・小高にて震災と今のリアルをみてきたお話②】

初日とは雰囲気がガラッと変わったツアー2日目。

今回は今の小高を生きる人々と、その人々が震災をどう捉えているかについて話します。

第2編 今の小高で生きる人々と震災

①小高で生きる人々

小高は、元は13000人いた人口から、1度ゼロになった街です。
5年前に避難指示が解除され、今は3800人が住んでいます。
ここの住民が面白いんです。
いち早く小高に戻ってきて、自分自身も様々な事業を作りながら、コワーキングスペースを作り、様々なプログラムで起業家を育てている地元の方。

https://village.pionism.or.jp


そしてそのプログラムを介して移住してきた、新卒だったり、有名企業をやめた方だったりと、様々なバックグラウンドを持つチャレンジャーな若者たち。

https://nextcommonslab.jp/network/minamisoma/


いち早く戻ってきて、元々経営していた旅館を再開させ、地域の人の帰りを待っている女将。

https://localnippon.muji.com/3462/

「絶対に帰りたかった」「体を動かさないとなまっちゃうからね」と、1人で広大な農地を耕し、マルシェに出品している農家のおばあちゃん。

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②彼らと震災

他にもいろんな人にお会いしましたが、私が印象的だったのは、地元の方々が「震災はいい経験をした」とおっしゃっていたことです。

決してネガティブなまま終わったわけじゃない、それをポジティブに受け止めて新たに動き出している地域だということをひしひしと感じました。

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震災がなければ、普通の田舎だった小高。
それが、震災があったからこそ人々が団結して、新しい人を外から受け入れて、みんなで0からまちづくりをしてきたのです。

地元の高齢者の方々にもお話を聞く機会が何度もあったのですが、移住してきた若者の取り組みについても、面白いと前向きに応援してらっしゃいました。

私みたいにぽっと外から来た若者にも、震災の日のことをたくさん話してくださいましたし、双葉屋旅館で会ってまもない地元のおじいちゃんなんかは、空き時間をどうしようか考えていた私を快く車に乗せて地域を案内して下さいました。

おじいちゃんと行った大悲山の、日本最大であり最古の石像↓

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何より、皆さん地域の未来についてすごく考えていらっしゃって、とてもご高齢とは思えないほどパワフルなのです。
双葉屋旅館の女将なんて、原発事故があったチェルノブイリにまで勉強しに行ってらして、いかに循環型の美しい地域を作って復興のモデルケースとなるかを私たちに語ってくださいました。
女将は実際に菜の花を植え、その菜種油を活用して、人間にも環境にも優しいオイルやボディーソープを商品化してらっしゃいます。

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こんな可能性と包容力に満ち溢れた地域なんです。
本当に面白い。


③今の小高のリアル

小高はツアー初日に訪れた双葉町の5年後の姿だと言われています。
もちろん小高も完全に復興しているわけではありません。
メインストリートにある移住者がやっている素敵なカフェの向かいにも、こんな空き家があります。

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これはかつて大繁盛していた地域のケーキ屋さんだそうです。
外から見るとそれほどでもないですが、5年人が住まない間に野生動物の住処になってしまい、到底中は使える状態ではなかったそうです。
こんなふうに、廃れてしまったわけではないのに、突然住めなくなってそのまま残ってる。そんな建物もちらほら見かけます。

このような光と影が混在しているのが、今の小高です。


世界でも類を見ない甚大な被害を被った小高や双葉町が、今後どうなっていくのか、必見です!!

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最後は、今回の素晴らしいツアーを組んでくれた株式会社Huberの遊ぶ広報と、案内してくれた私の元同期、大川翔について触れたいと思います。
ぜひ【福島県・小高にて震災と今のリアルをみてきたお話③】へ!

つづく。

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