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GWの室外スケッチ@河川敷からの銭湯

こんにちは。はっぴと申します。

パステルを毎日描いて翌朝noteにエピソードを書くということをしていますが、4月から始めた生活の為のバイトでサーカディアンリズムが完全に狂ってしまい、体力消耗のため、パステル画も、毎日noteアップもできていませんでした。

相変わらず小さいスケッチブックを持ち歩き、出会った対象の簡単な鉛筆画を描く、ということはしていました。

1週間前のことになってしまいますが、河川敷へ足を伸ばした際にスケッチした植物とそのあと発見したレトロな銭湯で心の洗濯ができた話をしたいと思います。

◆雑草のスケッチに萌える

先週は、仕事が半日で終わったので、午後から導かれるように、バスに揺られて河川敷に向かいました。ちょうど1ヶ月前に訪れたところです。

河川敷まではやはり伸びてきた野草や雑草の生き生きとしている姿に思わずスケッチ。立ち止まってさささっと描いたスケッチがたくさんあります。今しか見られない光景なので、それはそれで大満足でした✨

ヤセウツボ
ナヨクサフジ
ネズミホソムギ
ヒルザキツキミソウ

その日は、仕事でくたくたになった心を、天気の良い日に洗濯して干しに行った感じでした。GWのせいか、バスに乗る時も長い行列ができていて、河川敷でも何かイベントが催されており、人出が1ヶ月前より多かったように感じました。

そこで、河川敷でのスケッチもそこそこに、前々から探していた「最寄りの銭湯」が近くにないかをGoogleMapで探してみました。

そうです。私の近所には電車に乗らないと大きなお風呂に浸かれないという不便さを感じていたのです。たまには大きな湯船に浸かりたい。それが近年の夢であった私は、最寄駅からバスで20分ほどの河川敷近くのバス停から近くに銭湯がないかを探してみることにしたのです。

◆昭和の時代にタイムスリップ

GoogleMapで探してみると、河川敷最寄りのバス停から川と反対側に歩いて3分のところに昭和から約60年続く昔懐かしい銭湯があるとの情報をキャッチ😆
早速Mapに従い歩いていきました。

このあたりには団地や古い商店街があり、八百屋さんと親子連れの子供との元気な会話が昔懐かしい昭和の時代を思い起こさせました。八百屋さんの大きなしわがれ声が優しくて、子供がバイバイと最後に八百屋さんに手を振って帰る光景が微笑ましかったです。

昔懐かしい人情が感じられた篠崎新町商店街


辿り着いた銭湯は、高い煙突のある瓦屋根のひなびた入り口でした。どちらかというと、スーパー銭湯から銭湯を利用し始めた私は、ひなびた庶民的な銭湯を利用するのは全くの初めてでした。

江戸川スポーツセンターのバス停から歩いて3分の所にある、竹の湯さん♨

入り口から、すでに男湯と女湯に分かれていて、玄関すぐに下駄箱が在り、番号札を取って中に入ります。番台には女将さんが座っていて、480円の入浴料を支払うも、タオルを持ち合わせていなかった私は120円でハンドタオル、30円で小さな液体石鹸を購入。用意がなくても、お風呂に浸かれました。

程よい熱さのお湯に浸かり、全身の毛穴が開いて全身が温まりました。気分爽快で外に出ると、外気は暖かで風は涼しくひんやりとして、バス停までの帰り道は、今までにない爽快感でいっぱいでした!

◆叔母との思い出

私には2年前に亡くなった叔母がいます。その叔母は、生涯一人暮らしでしたが、一人暮らしから施設へ入った原因が近所のお風呂屋さんでの転倒でした。毎日銭湯に通い、銭湯仲間のような友達がいる、ということも訪問する度に、よく話してくれました。

叔母は、結婚もせず、定職にも就かず、自由気ままな人生を歩み、親戚からはいつも心配されていました。亡くなった父親からは、幼い頃、実妹である叔母に私が似ている、心配だ、とよく言われていました。叔母は定年退職後もアルバイトを続けていましたが、一間のアパートには電話も引かず、連絡を取る時は必ず葉書でした。

それでも、達筆で教養溢れる内容にはいつもまとまりがあり、最後には「草々」と礼節も欠かさないひとでした。

父親が早くに亡くなった私のことを心配してか、よく色々な場所で待ち合わせをしては老舗の甘味処や日本食屋を案内してくました。あんみつを二人で食べながら、亡き父の(叔母にとっては兄)思い出話をありありとしてくれました。

親戚の中では変わり者扱いされていた叔母は2年前に突然、心筋梗塞で救急病院に搬送され、駆けつけた時は笑顔が見られましたが、徐々に活気が亡くなっていき、その日の夜中には私の腕の中で静かに旅立ちました。コロナが騒がれる直前のことでした。

今思うと、あのタイミングで亡くなったので、親戚が集まって見送ることができたのだ、と感じます。

そんな叔母が大好きだった銭湯。
私はこの年になって初めて銭湯の良さを知しました。叔母の気持ちも今ならわかります。銭湯はこれからも残していきたい日本の庶民文化ですね。

亡くなる前、80代後半までお風呂屋さんに通うことを日課にしていた叔母も、こうやってお風呂上がりが気持ち良くて、銭湯に通うことを楽しみにしていたのだろうな、と元気だった頃に想いを馳せて懐かしく思いました。私が銭湯デビューをしたのはこの日が初めてでしたが、その後も休みの日にはちょくちょく通うこととなります。

◆下町の人情に触れた出来事

一度、お風呂の中で髪ゴムがなくなってしまった(と思った)ことがあり、番台の女将さんに「掃除の時にもし、こんな髪ゴムが出てきたらとって置いてもらえますか?」と尋ねると、すぐに泡風呂を止めてくださり、風呂の中を確認してくださいました。そしてその時のお客さんたちも「何を無くしたの?」とか「見つかった?」と皆さん心配して聞いてくださり、とても親切な方達ばかりでした。たぶん、近所の常連の方たちだと思います。

主に高齢者の方たちが集まる時間帯なのでしょうが、人生の大先輩の温かい人情に触れて新年度の新しい習慣に心も身体も重くなってしまっていた私は心も身体も温たまり、軽くなっていきました。

髪ゴムは帰宅後に着ていた服から出てきたので、すぐにお詫びとお礼の電話を入れました🙇

亡くなった叔母もこのような親切な銭湯友達がいて、その友達に会うために銭湯に通うことがきっと、楽しみだったのでしょう。もしかしたら、亡くなった叔母がこの銭湯に連れてきてくれたのかも知れません。

そんなことを思いながら今年のGWは爽やかに過ぎていきました。

皆さんは、どんなGWを過ごしましたか?

江戸川区側から望む江戸川河川敷の土手は緑と空のコントラストが5月らしくて清々しかったです!



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