なんで動画配信するのか?
わたしの世界観=わたしが世界をどう捉えているかについて見つめるシリーズ。
今日は公式LINEからのテーマ。
昨日のLINEで
自分の動画を撮ってインスタで投稿するのは、まず"自分が観るため" って書いたけれど、そもそもわたしは見ない事も多い笑
車中で録る アイデアとかさらけ出し音声メモも、ほぼ 投げっぱな笑笑
それでもきっちり気付きは起きるし、目の前は明るくなるし、時にはさらに潜る事になったりと、放った周波数は響き渡って返って来ていると感じてる。
アーカイブを残さない時もあるし、突然配信のその時そのタイミングでふと出逢った事のほうを大切にする事も多い。
そして今度は響きあったそれを、わたしがキャッチするかは自由だし、気づけるかはそもそも論。
でも いろんな人が 聞くかも見るかもしれない場で放つのと
安心できる人たちの前で放つのと
完全に自分の目と耳だけの場で放つのと
確実に返ってくる 質量?みたいな物が違う。
それがなぜかわかってるので、そのつもりで放っている。
場違いとか、質量とかを外したとしても
おそれや恥ずかしさ、間違いたくないとか 型を壊したくないとか、たいてい表面的なそんなのはすぐにわかる。
動画や画像や言葉を放つ事の意味、それだけでも人によっては意味深いと思う。
ひとつわかるのは
やってみて感じたからわかる世界って事。そして、感じて、そうと捉えていく時、わたしの世界観がまた構築されていくんだ。
それがわたしが、内容にかかわらず、SNS投稿や動画配信する意味のひとつ。
この世は実は 3次元では説明がつかないらしい。
そう、さいてー 6次元で感じていたい♡
わたしのこれから作るコミュニティのような場では、こんなファンタジックな空飛ぶ絨毯が底に広がってて
いつも積み上げてきたと思うようなものを見事にぶっ壊してくれる。
積み上げてきた、、、それはわたしたちを信頼させる「思い込み」という縛り。そこから立ち上がるもの、、
常識なんて外れて仕舞えばいい。
あたらしい今は過去の延長線にはない。
今の瞬間から始められるって事を、わたしのそばにいる人には知って欲しい。
もう訳のわからないことしか信じられない。その一番がわたし自身から湧き出す直感♡
「伝えたい事が伝えたい人にスムーズに届く」
そのためにわたしは自分の世界観を見つめている。
わたしが中心から淀みなく響いていれば、そのまま映し出された世界に生きられる。
淀みを淀みと認知してポイ♡すれば、わざわざそこに戻ってフォーカスして対話を繰り返すことなんてしなくっても、たちまち次元のちがう光の透過が起きる。
✴︎【日日のとびら】
公式LINEに書いたものから深めた記事