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「遠慮」がないことの、喜び

最近、よさがみえるラボのサイトで、こんな記事を書いた。

・会議で「遠慮」が発生する4つの理由
・「遠慮」のない場をつくる2つのマインド
・意見を活発に引き出す2つの具体的な手法

などについて述べているので、安心して思ったことを言える会議・意見が活発に出る会議にしたい方は、ぜひ読んで欲しい。

そして、今日は、この記事を読み返しながら思ったことを言葉にしてみようと思う。


これまでの会議で「遠慮」したことはあるだろうか

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ふと思った。

会議で「自分なんかが発言するのは求められていないかも」とか「先輩がこう言っているから、それが正しいだろう」とか…遠慮して意見を言うのをやめておく、という場面。
それはありありと想像できるし、日本中の会議で(残念なことに)多発しているシチュエーションなのだろうと思う。

ただ、私自身は、あまりこの体験がない気がする。

有難いことに、今いる よさがみえるラボ では、「遠慮」の感覚になることがない。思ったことは何でも言うことができる。それがどんな形に行き着くか分からない「思い付き」でも、リーダーのくせに「こんな不安がある」といった話でも。

過去、所属していた組織ではどうだっただろうか。
こちらも有難いことに、会議の進め方について不満を感じることはあったものの、「遠慮」が湧くことはなく、意見を言うことができていたな、と思った。

ああ、でも。
いつものチームミーティングではなく、経営層と話す機会は、あまり心理的安全性が高い場ではなかった。
その人の考えにそぐわない意見を言えば直ちに否定されると思っていた。それはつまり「(この人の求める)正解は何だろう?」と探り続けることであり、「意見を言っても何も変わらないだろう」という「諦め」でもあった。

今、書いてみて思ったけれど、「諦め」と比べれば「遠慮」の方がまだ素敵だ。「遠慮」が湧く背景には、チームが良い場であることへの期待がある。「諦め」には、それがない。


メンバーが「遠慮」しない、ということの喜び

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けれど、やはり「遠慮」が発生している場は、誰かが不安を感じている場だから、それがないのが一番いい。

ここまで書いてきたように、私自身は発言を「遠慮」する、という経験をほとんどしていなかったわけだが、ミーティングの場で他のメンバーが「遠慮」しない、ということの喜びは、強く感じたことがある。

それは、2年ほど前のこと。
詳細は省くが、よさがみえるラボのメンバーであるプロジェクトに参加した。
その企画において私たちが何をするのか、誰にどう貢献したいのか…そんな、プロジェクトのキックオフ、の位置付のミーティングの場だった。

あるメンバーが、それまで話していたのとは異なる、新しいアイデアを思い付き、発言した。
私はそれがとても素敵に思えて、「いいねいいね!」とすぐさま乗り、「それをカタチにするには?」ということを考え始めた。(その案は、とあるイベントを開催する、というものだったので、発案メンバーと私は盛り上がって会場の空きを検索し始めたりもした)

そこで、別のメンバーが「ちょっと待って」と声を挙げたのだった。

「今回私たちがやりたいのは、●●のサポートだよね。
私は、今出たアイデアの△△のサポートよりも、●●を優先してエネルギーを注ぎたい」

盛り上がっていた二人(発案者と私)は、これで我に返った(笑)。
そのアイデアが悪いわけではないけれど、今、全力を注ぐべきなのは、プロジェクトのメインコンテンツのほうだ。
そう気づけたのは、「ちょっと待って」と声を挙げてくれた彼女のおかげだった。

もっと詳しく知りたい方は、当時のnote(別アカウントです)をどうぞ。

彼女の「俯瞰して見る」ことのできる視点。広い視野。目的意識。
そのおかげでチームにとってのベストな方向性を合意できて、本当に良かった、と思った。

彼女の視野の広さ、俯瞰して見るという視点は本当に素晴らしい。
私には頑張ってもほとんどできないことだ(笑)。
とても良いなと思っていて、彼女にもよくそう伝えていた。チームの中にその視点があるのは本当に助かることでもある。

このとき、彼女が話してくれたことは、2年以上経った今でも私の心にくっきりと残っている。

「こうして、俯瞰して見えたこと・気づいたことというのは、長い間(よさがみえるラボ以外の場で)『自分の中だけにとどめておくべきこと』だと感じていたんだよね」

さっきのように盛り上がっている雰囲気に、水を差してしまうんじゃないか。
「批判的な人だな」と思われてしまうんじゃないか。

そんな不安から、「遠慮」してしまうのだ。

「でも、よさラボでは自然に言えるんだ」

とも伝えてくれた。

それは
・「水を差す」とか「批判的だ」とは捉えられない
・思ったままを言っていい

という心理的安全性がそこにあるからだ。

もし、彼女が「そのイベントよりメインの活動を優先しよう」という意見を言えなかったとしたら。

彼女の「よさ」は発揮されない、ということになる。
それは、その気づきが使われないということ。その視点がチームに存在しないことになってしまう。
それはなんという損失なのだろう、と思う。

そして、彼女はきっとモヤモヤした気持ちのまま、チームとしてやることになったイベントを、どこか乗り気でないまま一緒にやっていただろう。
それは彼女も辛いし、全体にとってもブレーキがかかることだ。

……あぁ、そうならなくてよかった。
彼女が思うことを言ってくれて本当に良かった。ここが、「遠慮」せずに気づきや意見を出せる場であって本当に良かった。

こちらも、当時のnote(別アカウントです)を貼っておきます。

「ここでは自然に言えるんだ」

そういう場をつくることの喜び。メンバーが「遠慮」しないことの喜び。
そんな喜びに満ちたチームが増えていくことを願っている。

遠慮よ、さらば!!



Top photo by Ankush Minda on Unsplash


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