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人の言葉に力を持たせないでほしい。


みなさん、
こんにちは。

随筆家 兼 文筆家 兼 イラストレーター
のChii。です。

みなさんは
どのようなゴールデンウィークを
過ごされた
でしょうか?


わたしは
心身共にリフレッシュしつつ、

ふと
心に浮かんでくる過去の出来事を
いろいろ思い出して
おりました 笑。


そこから

大切だな、と改めで感じたこと

今日は
みなさんと共有したい
と思います。


それは
どのようなことか
というと、

『自分の人生において、
人の言葉に力を持たせないでほしい』

ということ。

勿論、

素敵な言葉を贈られて、
それを心の栄養や成長、糧とする
のなら

全然
良いと思うのですが……。


なぜ

『自分の人生において、
人の言葉に力を持たせないでほしい』

のかを

わたしの過去のエピソードを元に
お話ししていきますね。


中学校3年生のある日、
わたしは英語のノートを
英語の先生へ提出しにいきました。


そのとき、

たまたま
クラスメートの子もいて、

英語の先生が
わたしのノートを受け取りつつ、

『良いところに来たじゃない』

と言ったのです。


……ん? 何が?

と、

その言葉に
きょとんとしたわたしに対し、

英語の先生が
とある英語のスピーチコンテストへの参加
を勧めて
きました。


英語の先生のところにいた
クラスメートは

毎年
そのスピーチコンテストに出ているそう。

ただ、

どうやら
今年は自分以外に参加者がいないので、

今年の参加をどうしようかと
英語の先生に相談していたらしいのです。


そこに
何も知らないわたしが
ひょっこり現われた、

という状況だったよう

なのです。


『参加してくれるだけでいいから』
と半ば(わたし的には)強引に押され、

英語は好きだったので、

何も分からないまま
その場で参加を決めました。


その後は
受験の合間に
(高校受験が迫ってました……笑)

必死に
練習をしました。


クラスメートは
毎年参加しているだけあって、

練習に対しても
とても慣れていて、

わたしは
何をするにもタジタジ。


同じ参加するにしても、
学校に恥にはならない程度に頑張ろう、

と、

できうる限り練習しました。

そして、

その練習には

コンテストに誘った先生とは
別の先生も指導に入ってくださり、

いろいろ
指摘をいただきながら、

何とか
コンテスト当日を迎えた
のです。


『参加することに意義がある』
精神で、

覚えた英文が
頭から抜けないように

最後まで確認しながら
自分の番を待ちました。


練習を指導してくださった先生も
クラスメートも

ガチガチ緊張しているわたしに

『まぁ、最後までやりきればいいから』

くらいのテンションで、

わたしに対して
期待をしているわけじゃなく、

参加するだけでいいから、
(コンテストに誘った英語の先生と同じ)
というスタンスだった

と思います。


そして、

結果は

わたしが優勝した、

という。


そこで、

良かったね~、

で終わればよかったのですが、


ここからが
結構キツかったです。


クラスメイトは

わたしが
優勝したことにショックを受け、

そのまま
コンテスト会場から帰ってしまい、

付き添いでおられた
練習指導してくださった先生には

『あなたが優勝するなんて、何かの間違いよ』

と言われ、

コンテストに誘った英語の先生にも

『優勝してくるなんて思わなかった』
と困惑され、


翌日以降、
クラスメイトを出し抜いて
優勝してきた酷い奴、

という扱いをされた、

という。


中学生ですからね。

多感な時期で、

『あの子(コンテストに一緒に参加した子)、
すごく傷つたみたいだけど、

あなたの実力は
どれほどのものなの?』

面と向かって
言われたこともありました。
(聞いてきた子の、
真の意図は聞かないことには、はっきりしませんが)


そのことにより、

その当時のわたしは
こう思いました。


『わたしはコンテストに優勝してきちゃ、
いけなかったんだ』


と。




ここで言いたいのは、


わたしの周りの人たちが
酷い人たちだった、

とか

わたしには
英語の能力があるんですよ、
(という自慢)

いうことではありません。


わたしが

その人たちに言われたことを
そのまま『自分の真実』だと受け入れて、

『自分の人生で
その人たちの言葉に力を持たせたこと』
で招いた結果

を言いたいのです。


その後のわたしは

自分が何かをやることに
ものすごく躊躇するようになり
ました。

目立ってはいけない。
でしゃばっちゃいけない。

特に
英語に関しては顕著で、

そのことを機に

英語が
すごく苦手になった
し、
嫌いにもなりました。


わたしは
英語ができないんだ、

と思って
意欲的に勉強しなくなり、

大学で
フランス語に挫折したときも

『あ、英語だけでなく、
外国語は無理よね』

ものすごい後ろ向きの捉え方を
あっさりとしてしまう

という悪循環。


最近まで、

英語は苦手だ、
でも
学び直そう、

と漠然と思っていて、

その苦手意識の理由すら、
記憶に溶けて思い出せもしません


でした。


ただ、

ゴールデンウィーク中、

自分の中に余白ができて、

ふと
過去のことが
浮上してきたタイミング

この
英語コンテスト事件
(わたしの中だけの)

を思い出したのです。


きっと、

わたしには
酷いことだと思った

その人たちの言動にも、
その人なりの理由があって、

その人たちは
酷い人間なんだ、

という感覚は、
今はありません。
(当時は酷すぎる! と泣いて恨みましたよ、
多感な時期ですからね……汗)


コンテストのルールを分かっていない
わたしを指導する中で、

イライラさせたのかもしれませんし、

わたしの何気ない言動

その人を
傷つけたことがあったのかもしれません。


ただ、

思い出してみるに、

中学校が始まってから

わたしは英語が大好きで
ずっと地道に努力は続けていた
し、

受験の合間に
できうる限りの練習を積んでき
ました。


だから、

今思えば、

コンテストの優勝は
わたしの中学三年間の努力のごほうび

と取ればよかったのだ、

と。


他の誰が

『何故、あなたが優勝するわけ?』

と言われたとしても、


わたしが
わたしの優勝を喜んで認めればよかったのだ、

と。


きっと
自分に自信がなかった当時のわたしは

人から言われた

『何故、あなたが優勝するわけ?』

という言葉に

『あ、やっぱりそうよね』

と納得し、

その言葉に
自分自身を否定する力としての効力を
持たせた

のだと思います。


そうしなければ、


長い間、

英語が苦手、嫌い、

という間違った認識を持って
大好きだった英語から離れる時期はなかった

かもしれません。

まぁ、
過去は変えられませんけど、

良い経験にはなりました。



長くなりましたが、


たとえば、


今、
あなたが誰かの言葉に傷ついているとしたら、

自分自身に
聞いてみてください。


『それって、
あなたについての本当のことなの?』

と。

そして、

『あなたは
それを本当に信じたいの?』

って。


その人たちの言葉は
その人たちの中では真実なのかも
しれません。


けれど、

あなたにとっての真実は
あなたにしか分かりません。


あなたが
それを信じたくないのなら、

その言葉に
あなたの人生においての力を
持たせないでほしい。


あなたの人生はあなただけのもの
です。

あなたの人生を
一番長く見つめている
のは

他ならぬ
あなた自身だけ。


他の誰が
分かったような口を聞いても、

本当に
あなたにとっての真実が分かるのは

あなた以外にいない、

ということを

どうか忘れないでくださいね^ ^

結びに、

あなたの心が
ゆるゆるとゆるまっていきますように……。

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