見出し画像

舞台「炎の蜃気楼昭和編」に捧げるエッセイ

『ありがとうミラステ、君は我が運命』 

2024年、ミラステは上演10周年を迎えました!
そして上演10周年記念プロジェクトが始動しています。

<現時点の概要>
◉上映イベント
9月21日、9月22日には、池袋HUMAXシネマズにて、舞台の映像を映画館で鑑賞する10周年記念上映イベントが行われました。二日間に渡りシリーズ5作品が上映され、各回、キャストさんによるビフォアアフタートークがありました。また、最後の回には原作者の桑原水菜先生も登壇されました!

◉Blu-rayBOX 発売!! 3本セット 全巻セット
★特典がものすごい!
・新規特典撮り下ろし映像 
  富田翔さんと平牧仁さんの新潟二人旅ロケ
・特製ブックレット
 加瀬賢三役富田翔さんの撮り下ろしフォト、
 桑原水菜先生との対談、
 そして先生の新規書き下ろし短編も!!
完全予約生産 受付 9月30日(月)〆 12月中旬ごろ発送

 さて、前置きが長くなりましたが、先日この上映イベントに行ってまいりまして、大変に滾りました。Blu-rayってすごい!!最高に良かった!!ミラステの、舞台の感動が蘇って震えました。映画館の音響と大画面の迫力、映像の美しさに圧倒されました。そしてミラージュへの想いに溢れる空間に再び身を置けたことが嬉しかった。
 役者さんと水菜先生のトークも楽しかったし、先生の涙や言葉にまた泣きました。
 また、周りに初めてミラステを見る方も多くいらっしゃって、初見さんの衝撃や興奮を近くで感じて私もそうだった!と胸熱でした。

 上映イベの萌が、オタ活休止中の引きこもりだった私を外に引き摺り出したので、私は当時の熱狂を振り返ってみたくなりました。ミラステに引っ張り出されたの、実は2度目。以下は、ミラステへの思いの丈を綴った文章です。
 ミラステへの想いを一冊に集めた、舞台炎の蜃気楼エッセイアンソロジー「LINKAGE」(発行人高取様)の企画に応募し、寄稿させていただいたものです。
 大変長いので、note用に見出しなどをつけました。観劇の感想部分を中心に読んでいただければ幸いです。

 ◆舞台「炎の蜃気楼 昭和編」との日々


 炎の蜃気楼は、私の人生を変えた作品です。炎の蜃気楼のフィナーレを生の舞台で見届けることができて、胸がいっぱいです。昭和編の世界を、誠実に作り上げ最後まで真摯に描き切って下さったこと、本当にありがとうございました。

 小説は、誰しもがきっと、心の中にその人だけの大きな世界を持っているものだと思います。しかもファンの念が少々熱すぎるミラージュです。複雑な心理が絡み合う原作の世界を新たな形にして表現することは、決して容易なことではなかったと思います。 
それでも、実現してくださったこと、ファンの期待に応え、四年半、弛まぬ挑戦を続けて下さったこと、本当にありがとうございました。

 ミラステは、いつも期待を裏切りませんでした。裏切るどころか、観に行けば毎回、想像を越え、驚かされる。いつも期待以上のものを返してくれる舞台でした。期待と信頼の中で次の作品を待つ日々は、幸福な時間でした。

 それでも初めは、蜃気楼の舞台化には期待しないでおこう、と思っていたのです。舞台や実写は、原作とは別物だと思っていた方がいいと、若干懐疑的な気持ちでした。

しかも炎の蜃気楼舞台化の報を聞いたのは、上の子はまだ二歳、下の子を妊娠していて、一日をこなすことで精いっぱいな日々の最中でした。

 子供を置いて観劇に行くこと自体、ハードルが高いと感じていました。それでも独り身の時はそれなりに観劇が好きでしたので、舞台がいかに一期一会なものかは身に染みていました。だから観に行きたかった。家族に無理を言い、見逃すまいという想いで「夜啼鳥ブルース」三日分のチケットを取りました。

 実際に目にした舞台は、予想以上に素晴らしかった。役者さんをはじめ、舞台を作り上げて下さった方々が、原作を大事にし、丁寧に向き合っていることが伝わってきました。原作ファンとして、とても嬉しく思いました。 

 また、忙しない日常の中に埋れがちだったミラへの想いが、自分の中にフツフツと滾っていることを感じました。育児に追われるうちに、その熱を胸の奥にしまっていたミラージュ。それが、舞台という生身の表現に触れ、ミラ一色だったころの狂おしさが蘇ってきました。込み上げてきたものの生々しさに自分でも驚いたのを覚えています。その懐かしい感覚が愛おしかった。

 しかし現実の育児は待ったなしで、舞台で感じた興奮と熱を丁寧に撫ぜて、また包み直して収めた、そんな一週間でした。

 それから、少しずつ昭和編を読み込むようになりました。そして他の方の感想を知りたくなり、低浮上だったSNSを再開しました。

 「瑠璃燕ブルース」の頃には、下の子が生まれ、子供が二人になり、果たして舞台を観に行けるのだろうか、預け先はどうするか、観に行ってもいいものか、葛藤しました。けれど、やっぱりどうしても、あの熱をもう一度味わいたい。その一心で観劇を決意しました。

 また、舞台期間中に、SNSでいつもお話をしている方とお会いできるという楽しみが増えました。オフ会などに参加すると、色々な方のミラージュへの想いや考え方を実際に聞くことができて、とても面白かったのです。

 「夜叉衆ブギウギ」の頃には、舞台の感想などを、直接聞いたり語ったりすることの楽しみに、すっかり嵌ってしまいました。ミラステを弾みにして、顔なじみの皆さんと、または初めましての皆さんと、熱く盛り上がる機会は私にとってかけがえのないものになりました。

 それから、私自身の蜃気楼への関わり方にも大きな変化があって、再び蜃気楼への熱狂の蓋が開いたのは、この頃だったと思います。

 「紅蓮坂ブルース」では、キャスト変更などの大事がありながらも、ミラステを続けて下さると決断してくださったことに、本当に胸を打たれる思いでした。

 家庭と育児をやりくりし、夜啼鳥の頃から少しずつ観に行く回数を増やしてきました。事情が許す限り、通おうと思いました。午前中に幼稚園の親子遠足に行ってから駆け付けたり、遅い時間まで子供を預けることに葛藤しながらも夜公演に行きました。一時保育や、実家や義実家も巻き込んで、使えるところは全部使いました。それぐらい観たかった。妥協したくないと思いました。ミラステはそれほど、私にとって魅力的なものになっていました。大変でしたが観て良かったと、今でもそう思います。

 そして、原作がとうとう環結を迎えました。本当に本当に、とうとう。万感溢れました。

 少し遅れて再燃した私は、本編の最終巻を読んだとき、一人でした。その想いを話そうにも聞いてくれる人は周りにいなかった。けれど今は違います。ミラステをきっかけにたくさんの炎の蜃気楼を愛する人々と出会いました。

 抱えた想いも、同じではないけれど、わかる部分がある。満ち足りた想いと幸せな感慨と寂しさと。己で噛みしめて、でも、分かち合うこともできる。今度は独りじゃないんだ、と思えました。そのことにとても助けられました。ミラステやSNSを通じて知り合ったミラ好きの方々とともに、この時を迎えられたことは本当に心強いことでした。

 その時期を経て、最後の炎の蜃気楼、舞台「散華行ブルース」はやってきました。

 後悔だけはしたくない、その想いで、行けるだけ行こう、最後のミラステだから、と心に決めました。結果的に十一公演を見届け、できないことをやり通して、無謀なことをしたなと思います。家族にもこれが最後だから、私が大切にしているものだから、と説き伏せて、子供を預かってもらいました。こんなことができたのは本当に家族の協力があっての事でした。

 千秋楽が近づくにつれ、ああ蜃気楼が本当に終わってしまうんだな、と感傷に襲われたり、劇場に入れば胸が高鳴って饒舌になったり、想いが言葉にならなくて無口になったり、情緒が不安定になって、なんだかよくわからなくなりました。そうやって感情に翻弄されても、やっぱり舞台を観れば一瞬で引き込まれて、圧倒されて、涙が出て、炎の蜃気楼が好きだと思うのです。舞台上にも客席にもロビーも、空間の隅々にまで、ミラージュへの愛が満ちていました。それがとても嬉しく心が震えました。本当に心に残る、良い環結を迎えられたと思います。

 炎の蜃気楼の舞台を思い出すとき、舞台そのものもそうですが、トークイベントや衣装展示や原画展、薔薇の祭壇やメッセージアルバムの企画や、心を擽るグッズの数々を思い出します。

 炎の蜃気楼のファンを大切にしてくださったこと、忘れません。本当にたくさん、惜しみなく向き合ってくださって、炎の蜃気楼を愛してくださって、その想いが感じられたからこそ、ついていくことができたし、次を期待できました。全部が素敵な思い出です。本当に素晴らしい四年半でした。

 子供が生まれたから育児に掛かり切りで、いつの間にか自分は、子供や家族のために我慢しなくては、と思っていました。もしミラステがなかったら、私はもっとひっそりと自分の中だけで蜃気楼を昇華していたかもしれません。でも、ミラステをきっかけに、外に出て自分の好きなものを追求してもいいんだ、と思えました。

 一生の終わりに振り返った時に、ミラステがあった日々は、きっとキラキラと輝いていることでしょう。小さい子を育てる身でも、こんなに心の高鳴りを堪能できるなんて。夢のようでした。そこに居る時の私は、母でも妻でも仕事人でもなく、ただの、炎の蜃気楼を愛する一ファンでした。育児にへこたれ日、ミラステへの期待膨らむ情報や、一喜一憂する時間、時にはオフ会での気晴らし、それがどんなに私を支えてくれたか。

 舞台ももちろんですが、そこに至る、ミラ好きの方々と共有できた時間が、本当に大切なもので宝物でした。

◆舞台を観劇して━織田信長と朽木慎治のこと━


 さて、ミラステがいかに私の人生を豊かに彩ってくれたのかについて書いてきましたが、もう少し踏み込んで、舞台を観て感じたことにも、触れられればと思います。


 心を揺り動かされたポイントはたくさんありますが、あえて一つに絞るとすれば、それはやはり、織田信長、朽木慎治のことです。

 私は、炎の蜃気楼に描かれる織田信長が好きです。何度目かの再読で、信長の抱える闇と歪な美しさに魅かれるようになりました。そして信長の苛烈で手加減のないやり口や独善的な気質や彼らの前に立ち塞がる強ささえ、魅力的だと思うようになりました。

 昭和編はそんな信長の過去が描かれるとあって、とても楽しみにしていました。信長がどういう道を経て、斯波瑛士に至ったのか、三十年前の上杉との闘いはどんなものだったのか、とても知りたいと思いました。

 信長は、今まで本編でも殆どメディア化されていません。舞台化は、信長が、小説や絵とは違う形で表現される初めての機会でした。想像の中の信長が生身になるのだと、宿体を得た信長の雰囲気を感じられるのだ、と本当にワクワクしました。


⚫︎「夜啼鳥ブルース」 
 そして「夜啼鳥ブルース」を観劇し、私はその確かな存在感に驚きました。原作ではさらりと描かれたように感じた覚醒前の信長が、舞台の上で、本当に生き生きと、朽木の人生を生きていたのです。加瀬さんが親友だと言った朽木がそこにいたのです。加瀬さんが朽木に拘る理由を、肌で感じた気がしました。

 本編の信長があまりに手強く強烈な敵なので、いくら朽木が親友だと言っても、朽木を諦めきれない加瀬さんが、少しだけ不思議でした。けれど、舞台の朽木は、やんちゃで粗野なところはあるけれど人情に篤くて、チャーミングでいいやつで、その場がパッと明るくなるような愛嬌があって。生い立ちの記憶もない、虚無の闇も持たない、本来の信長の人間性を、想像することができました。加瀬さんが友だと思った朽木を、生々しく体感することができました。そのことにとても感動したのです。朽木があまりにも魅力的で、加瀬さんの未練に納得するしかありませんでした。

 原作の昭和編は、対織田の構図の中で、直江の苦悩と、景虎の抱える深淵と、美奈子の想いが紡がれる物語であるように思います。

 舞台では、朽木が同じ人間として対等に、同じ場所に生きていたという事実が、立体的に鮮やかに浮かび上がってきたように思うのです。原作通りで嬉しい、ということを超えて原作の解釈の幅が広がるような、そんな朽木でした。舞台を見ることによって、私はより深く信長を理解し、言葉以上の広がりを感じ取ることができたような気がします。そんな経験は初めてで、気が付けば増田裕生さんの演じる信長の虜になりました。


⚫︎「瑠璃燕ブルース」
 「瑠璃燕ブルース」ではもう、朽木慎治は、織田信長として覚醒していました。景虎とのタワーバトルは壮絶で、最強同士のぶつかり合いにぞくぞくしました。信長の威厳と迫力に、本編を読んでいる時のような恐怖を思い出しました。ああ、あそこによく知る信長がいる、と思いました。でも、そこにいる信長はただの信長ではなく、朽木であった信長なのだと。それをちゃんと実感できる説得力に、唸りました。

 それから、お茶目が香る林さんのハンドウが、情感が滲む殿にしっくりとよく馴染んでいることが心地良く。殺伐とした上杉主従と対照的に、織田主従の熟した安定感が、ミラステならではの新味に感じ面白かったです。


⚫︎「夜叉秋ブギウギ」
 「夜叉衆ブギウギ」では、またレガーロの朽木に会えたことが懐かしくて、あの頃の家族のような空気感に泣きたくなりました。ほっこり笑える日替わりパートも、毎回楽しみでした。やはり、レガーロで働く朽木は、表情豊かで歯切れがよくて親しみがあって、好きだなぁと改めて振り返りました。こんなにたくさん、ボーイのままの朽木が観られるとは思っていなかったので、あまりに嬉しくて、朽木の私服アロハを見つけてしまいました。


⚫︎「やどかりボレロ」
 そして「やどかりボレロ」を観た時、ああずっと、こんな光景を見てみたかった、と思いました。換生をテーマにした物語は、重く熱く、改めて炎の蜃気楼の世界観を考えさせるものです。信長もまた例外ではなく、換生の理と業からは逃れないのだ、とも感じました。

 「君は我が運命」を口ずさむ殿は、信長の記憶が戻ってもまだ、朽木の色を濃く持つ信長でした。レガーロを懐かしみ、どこか朽木であった時間を噛みしめる。「小言かお蘭」という殿が、とても人間味に溢れていて、心の内の密かな戸惑いや焦れまでもが透けて見える気がして、魅かれて止まないのです。朽木を排する前の、完全に覚醒する前の魔王と人間の過渡期というか、その変容を観るような、そんな感覚になりました。信長もまた、換生が否応なく与える変化に、骨の髄まで浸ったのかと思うとゾクゾクしてしまいます。

 また、朽木を引きずる殿に、蘭丸が不服を漏らすのが愉快でした。殿がその不満をよく分かっているのもいい。長年連れ添ってきたような、織田主従の気のおけない親密さにほっとします。そして、殿の見る景色を見たいと望み、心など欲せず「殿こそ我が運命」と言い切る蘭丸の、毅然とした在り様に胸を突かれました。

 そして、朽木を経た殿が、怨念の根源をもう一度見据え、革命を決する。ああ、ここが死の先を生きる信長の、新たな始まりなのだと思いました。本編の最終巻に繋がる線の上を信長は、突き進んでいくのだと思えました。

 そんな織田と上杉の最後の掛け合いは本当に素晴らしく、衝撃的でした。信長と蘭丸、景虎と直江が、対比的に描かれ絡まり合っていく様に、心震えました。簡潔な言葉と構図に主従の関係性が凝縮されていて、とても詩的で演劇的で、ミラージュを演劇として観ることの奥深さと面白さを目の当たりにしました。

⚫︎「紅蓮坂ブルース」
 さらに「紅蓮坂ブルース」では、まず、殿のお衣装チェンジに滾り、毛皮のコートと仕立ての良いスーツを着こなす殿に心躍りました。サングラスに皮の手袋など、昭和の風情がとても男前で格好良く、ときめかずにはいられません。信長としてオーラが格段に増して、魔王のどろりとした熟れた気配を醸しているようでした。

 だからこそ、信長として覚醒した殿がレガーロを訪れ朽木を断ち切ろうとする姿に、胸が疼きました。マリーを愛おしいと想っても、その歌声を奪うことでしか愛を示せない。初生では信じきることができなかった愛を宿したのに、信長であることがそれを拒む。そんな殿の哀切が浮き彫りになるようで、ズシンと臓腑に響きました。

 快活な朽木が心に刺さったからこそ、覚醒した信長の凄みも一段と峻烈になる気がしました。

 紅蓮坂の信長は、魔王であるのに押し隠した傷を感じるような、まさに死の先を生きている信長だと感じました。その強さもさることながら、ふとした瞬間に見せる静かな表情や、愛おし気な目線や、内にある想いが滲んだ不敵に微笑んだ口元に、信長の人生を感じます。

 そして何といっても産子根針の発動が圧巻でした。信長が凄まじく強く鮮烈で、未だに目に焼き付いて離れません。逆光の中に浮かび上がる姿は恐ろしくも美しく、その圧倒的な力を浴びるようで、刀を振るいながら真言を唱える信長に、ひれ伏したくなりました。

 ハンドウが景虎と対面する場面も、蘭丸の過去や本質を垣間見る気がして、一層味わい深く感じ入りました。

 紅蓮坂はそんな織田主従から、過去作にも増して目が離せませんでした。周りにも、細かいおすすめポイントを語りましたが、たくさんの方から「織田主従がとても良かった」「格好良かった、好きになった」という声をいただいて、それが何より嬉しくて。こんな風に周りが、織田の話に興味を持ってくれることに感激しましたし、これも舞台の効果だと感無量でした。

 それから、まっすんさんが次は上杉を全力で滅ぼす、と意気込みを語って下さったことには、密かに小躍りしました。いよいよ最終決戦となり、殿の本気の闘いと、信長のギリギリの極限を見ることができるのかと思うと、居てもたってもいられない気持ちになりました。特別番組で「滅」の色紙(家宝にしております)を見た時には胸が高鳴り、しかと身を引き締めて心に刻もうと覚悟を決めました。

⚫︎「散華行ブルース」
 「散華行ブルース」の信長は、ミラステの信長の集大成のような、これまでの全ての朽木と信長が練られ内包されたような信長でした。それゆえに、どの場面の信長を振り返っても、感極まってしまうのです。

 主従という点でもそうです。蘭丸がちょっと外れたことを言って、殿がふんっと鼻で笑うやり取りに、その可笑しみに癒されました。もうこれは殿と阿蘭の様式美みたいなものですよね。てらいもなく素で聞いてくる蘭丸に、殿も少しだけ胸の内を明かす、主従でありながらその気安さがいい。だから「ではもう少し、鍛えておけ」は最高でした。まさに舞台の織田主従を象徴するやりとりだな、と身もだえました。

 また、織田勢としては家臣が増え組織に厚みが出て、織田の強さが一気に開花した感じがしました。殿の統率者としての迫力がより高まり、貫禄が増した気がします。

 滝川一益は隊を率いる偉丈夫で、織田愛にも熱いのに、その方向性が蘭丸とは若干ずれていそうなところが面白かったです。しかも、好戦的な香りがむんむんして、さすが織田の怨将と頷きました。

 佐久間盛政は、知将を感じさせる眼鏡と、剣さばきが鋭いところが素敵でした。呪法の惨さに心を痛め、けれども信長を恐れる、娘には弱い。情に動かされ葛藤する凡庸さが、好ましかったです。虎姫は、登場する時のピリッとした緊迫感に浮ついたところがないところが肝の座った女性らしく、この虎姫なら信長を裏切ることができそうだ、とかなり好きになりました。盛政親子の苦悩が産子根針の残酷と、信長の非情さを際立たせていて、見事でした。

 鉄二の信長は、その姿に信長が重なって見えるほどの同調率で驚きました。魔王の種で操ること、信長の人格が外に出た時に周りからどう見えるのか、感覚として分かったのは大きな収穫でした。

 織田の怨霊たちもまた、戦場によって違う装いだったり赤い鎧が勇ましく、織田の戦力として活躍していることがビシビシ伝わってきました。

 さらに華麗で繊細なプロジェクションマッピングは芸術的で感嘆しました。織田勢の炎系の多彩な攻撃は、臨場感が素晴らしく手に汗握りました。私はずっと本編の頃から、殿の破魂波がどんな風に見えるのか知りたかったので、その夢が一つ叶い、満たされた想いです。

 そして、捕らえた直江に殿が「面白い」と言うシーンを、実はとても楽しみにしていました。殿が直江に興味を引かれることは、景虎への執着と同じくらい要であり、波紋の始まりだと思えるからです。そして期待以上に、格別でした。これぞ、ミラージュの信長だ、と思いました。いつも殿の面白がりが、事態をややこしくする。でも、勝ち筋より興味を優先して、生きることを楽しんでいる殿が私は好です。それに、信長を恐れない直江に興味を示すことは、殿の孤高を浮かび上がらせるようでもありました。知らない色合いを持つ男、しかもあの景虎が飼っている。殿の情動が手に取るように感じられて痺れました。


 そして朽木が滲む箇所の一つ目、マリーの場面では、目覚めたマリーにかけた第一声が静かでひどく優しくて、マリーへの愛おしみが溢れていて、泣きたくなりました。マリーとのひと時、魔王の中に残る朽木を許した殿が、マリーを見ない殿が、マリーに見透かされ、表出する朽木を指摘されて束の間感情を揺らす殿が、切なくて胸が痛くなってしまいます。そして、想いを拒まれた殿は信長であるしかなく、取引で奪ったものを返す、そんな形でしか愛を示すすべを持たないのだと。それでも殿は、信長として死の先の生に輝きを灯したマリーを、愛おしいと言うのだな、と。やるせなくなりました。


 さらに夜叉衆とマリーをミンチにし、「美しい幻だった。夢の時間は終わった」と言った時に殿は、朽木が持った感情も葬ることにしたのではないかと思います。ゆえにそれは「是非もない」のだ、と。殿と後ろ姿が、その潔さと孤独が哀しく、印象的で目が離せませんでした。手で払う仕草が舞のように美しく、本能寺の「夢幻のごとくなり」にも通じるような、殿が初生の最後に感じた「人生とは、美しいものだった」という感慨と美的理念をありありと感じられるような、そんなシーンでした。


 加えて、この信長の「夢の時間」への感慨は「なぜ貴様は、そうまでして生の先の死を受け容れぬ」という、最後の景虎に対する問いかけに、繋がっているのかなとも思いました。その疑問は、信長の本心からの不可解であったように思います。

 そうした、信長と景虎の鬼気迫る対決には、毎公演、動くことも忘れ、固唾をのんで凝視していました。

 対話の最後、信長が景虎に、「朽木という男の目で見ていた時」強者になれない者の気持ちがわかっていたはずだと言われ、信長がそれを、「朽木」として応えるところはもう、本当にグッときて毎回胸を衝かれます。そこにいるのは、ただの加瀬と朽木であり、信長と景虎という、存在同士の真皮のやりとりでした。信長は、柔さを抱えた朽木を嫌悪し、けれど断ち切らなかった。呑み込んだ朽木を、亡き者にすることはしなかった。朽木は、紛れもない信長自身であると見せつけ思い知らせるように、敢えて朽木として、景虎に対したのだと思いました。景虎への憐憫と渇欲。泥くさくて重厚で鋭敏で悲しくて愛おしくて、ミラステならではの信長に、鳥肌が立ちました。


 とくに千秋楽では、景虎と対峙する信長の凄烈さに、息をするのも忘れました。信長の全霊が発火したような迸る熱量に、圧倒されました。あの殿は完全に朽木であり完全に信長であり、全部が融合して一つの魂が噴き上がってくるようでした。信長の剥き出しの本気はこうも純粋で荒々しく苛烈なのだと、まざまざと目の当たりにし呆然と震えました。最期まで人の味わいを手放さない、燃えるような織田信長でした。


⚫︎増田さんへ
 増田さんは、朽木慎治、織田信長という難しい役に一つの答えをもって挑んで下さり、新たな息吹を吹き込んで下さいました。血と肉の通った、生々しい生きた信長でした。生身の信長を知る前は、殿の声が、こんなに艶やかで張りがあって魅惑的に響くなんて、どうして想像できたでしょう。躍動する体と声が、信長の魅力にいっそう厚みを増したように感じました。

 心の琴線に触れる、本当に刺激的な、朽木慎治と、織田信長でした。本当に際立っていて、鮮やかでした。まっすんさんの殿に、たくさんの衝撃と深い納得と大きな感動をいただきました。まさにミラージュの信長であり魔王であり、細部に至るまで、確かな真実味に溢れていました。殿の孤高、魔王としての威厳と迫力、ほんの瞬間みせる人間らしさ、最強の力と美しさ、どれをとっても唯一無二だと思います。そしてまた、可愛げのある、どこか憎めない人のいい朽木が、好きでした。朽木を魅力ある人物に演じていただき、本当にありがとうございました。


 そして信長の環もまた、結んだのだと感じます。私は本当に、まっすんさんが演じられる信長が、好きです。まっすんさんの信長に出会えたことを嬉しく思います。

 本当に、比類のない素晴らしい信長でいてくださって、どうもありがとうございました。

 ◆最後に

 最後に、制作スタッフ、キャストの皆さま、誠実に終局まで走り抜けてくださったこと、環結まで作り上げて下さったこと、本当に感謝申し上げます。

 真摯な想いを感じられたからこそ、私も一ファンとして、悔いなく全力で舞台炎の蜃気楼を受け止めることができました。

 私の人生を変えた炎の蜃気楼のラストランを、ミラージュを愛する皆様と、生の舞台という一つの空間の中で見届けることができ、本当に胸が一杯です。 

 そして、ミラステは、かけがえのない思い出と、たくさんの出会いや縁を結んでくださいました。私の人生の中でも屈指の、本当に楽しい日々でした。

 四年半の間、幸せな時間を、本当にありがとうございました。

貴仲ちわ

長々と読んでいただきありがとうございました。狂熱が立ちのぼってくるようで息苦しく、懐かしく、気恥ずかしい気もします。御本はキャストの皆様や先生方、制作会社に送られましたので、この文章はファンレターでありラブレターでした。当時の気持ちをこうして一つの形として残すことができて良かった。あの日々は今でも色鮮やかで、こうして引きこもりの私をまた連れ出してくれました。
ありがとうミラステ。今でも幸せです。
そしてまた、新しいミラステ、再演のミラステに会えることを楽しみに。
のぞみはいつか叶う。待っています。

そして少しでもミラステが気になった方は、Blu-rayBOXを手に入れてほしい!
初めの三作はDVDのみの映像化だったのが、今回初めてBlu-rayになりました。
Blu-rayの美しさは正義、Blu-rayになると映像から受け取れるものが幾倍にも増えるということをポルノグラファー沼で痛感したので、これは本当に嬉しいことです。
だからボックスにならなくったって手に入れたと思うけど、ボックスにはあり得ないくらい豪華な特典が付くんやで!
お値段が〜となると思うけど、先生の炎の蜃気楼の新作を紙で手に入れる最後の機会かもしれないやで。全く惜しくない。届けこの想い!
買うなら今!!受注生産、9月30日まで!!これを読んだ今よ!!

そうだ、映像の他に、トライフルさん主導で、メモリアルフォトブックというのが出ています。
これがまたただのフォトブックじゃないのよ〜!
最高に良いので、みんな買うといいぞ。
もし上映会で初見という方や、DVDは持ってるし、と迷っている方がいるなら絶対に買った方がいい。充実のインタビューと座談会、加瀬の夢、そして桑原水菜先生による脚本「やどかりボレロ」小冊子付き!
今ならまだ買える!!今なら!!まだ!!買える!!
(大事なことなので2回言った、売り切れゴメンだと思う)
(公式様のタグをたどると中身の雰囲気がわかるので貼ってみた)

さらに2024年は、原作本編完結20周年、昭和編開幕10周年でもあり、未収録作品などを「炎の蜃気楼アンコール」として電子で配信!
これは本当にすごい....!!
新たなミラージュにきっと出会える。読んでほしい!!


最後なんか宣伝みたいになってしまいましたが、トライフルさんが潤って次のミラステが実現したらいいな、と一介のオタクは夢幻をみています。是非もなし。

#炎の蜃気楼   #舞台炎の蜃気楼昭和編 #ミラステ #ミラステ10周年 #舞台 #感想   #エッセイ   #織田信長  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?