見出し画像

見立て―茶の湯の世界

実は、金継ぎは、室町時代、茶の湯の文化が醸成されるのに伴って、発達しました。
私は茶道の心得はまったくないのですが、金継ぎの勉強のため、いくつかの本を読んだりしました。
 
どうやら、「茶会」というのは、トータルコーディネートの世界のようです。
たとえば、その日の茶会の趣旨が「北の地へ旅立つ友を送る茶会」だとしたら、掛け軸は、友情を描いた漢詩の一説、花は、別れを惜しむ意味を持つ花、花入れはかつて友人と訪れた地で見つけた雑器、匙は永遠という意味の銘のついたもの、水入れは、香りは、菓子は、…と、単純に季節だけでなく、茶室で使うもののひとつひとつに、その茶会に通じるテーマを設けて、
参加者は高い精神性でそれをくみ取り、それではじめて、心が通じる茶会となるそうです。
もちろん、茶碗も、そうやってコーディネートする重要なアイテムだそうです。
 
道具を本来の目的と違う使い方としたり、何か別のものを見出したりすることを、「見立て」と言います。
高い抽象度で物を眺め、感じることで、その深い文脈を理解し、新たな意味を得てコミュニケーションする、とても精神性の高い、人間らしい感性です。
 
たとえば、一度割れて修繕した、粉引きのお茶碗の金継ぎの線が、まるで雪山の稜線のようだから、修繕した茶碗に「雪峯」という銘をつけよう、とか。
だとしたら、「北の地へ旅立つ友を送る茶会」に使うのに、ぴったりの茶碗だ!とか。
 
つまり、金継ぎは「見立て」の高いレベルの文化によって誕生したもので、単なる「修理」ではない、と私は考えています。
 
そのためには、うつくしさも当然必要ですが、見立てる源となるさまざまなものに触れ、感じ、自分の感性をもっともっと豊かにし、一生学び続けていきたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?