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地方でデザイナーとして独立してから「やめた」いくつかのこと

個人が地方でデザインで生き残るためには、戦略が必要だ。生存戦略が。人と同じことをやっていては、より単価の安い人へ仕事が流れて生き残れない。この先も長きにわたって続けていくために、「何をやって、何をやらないか」を決めよう。そう考えて「やめた」戦略的撤退に関するいくつかのことを整理するためにも書いてみる。

ウェブの仕事をやめる。

1997年、20歳でアプリケーション開発会社に入社してから18年、ウェブの制作会社を渡り歩きながら「ウェブデザイナー」という肩書きで、ずっとウェブデザインの仕事をやってきた。コーポレートサイト、ECサイト、ブランドサイト、年々サイトの規模は巨大化し、複雑化していった。自分はウェブでこの先も食っていくんだ、というかウェブしかできないと思っていた。けど独立して、ロゴやグラフィックやパッケージやブランディングの延長で作るウェブサイト以外の仕事、ウェブオンリーの仕事はうけないことにした。なぜか、ということを整理するためにも思うところを書いてみたら長くなった。結局私はウェブを愛していたんだな。

私がウェブの世界に入った90年代後半はインターネットバブルの時代で、GIFバナーが1本10万円みたいな、今では考えられないほどのお金がたくさん注ぎ込まれて、みんながウェブに夢を抱いてキラキラしていて、本当に夢みたいな時代だった。上京してますますウェブが楽しくて必死に追いかけてきたけど、2011年に札幌にUターンしてリモートワークを始めてから、なんだか自分のなかで違和感が湧いてくるようになった。同僚との認識のズレ、温度差。せっかく札幌に戻ってきて豊かな生活をしたいと思ったのに、徹夜して何日も眠れない納品前の日々。何かがおかしい、何かが…。

その後移り住んだ小さな町で会社を辞めて独立することになって、たまたま私が独立したタイミングで法人化した団体のウェブサイトを作ることになって、一人でウェブに向き合ってみたときに愕然とした。ウェブをずっとやってきたから得意だと思い込んでいたけど、コーディングやシステム周り、技術的なことをほかの職種の同僚に任せきりにしていて、いざやろうとしてみると、自分一人でサイトを構築することができなかった。自分の知識が極端に偏っていたことを痛感した。

一人でできなくても、信頼できるコーダーさんと組んで制作していけばいい、と思っていた時期もあるけど、実際にその時は旧友のシステム屋さんにパートナーになってもらってだいぶ助けてもらったけど、その後も日進月歩で更新されていくテクノロジーに関して満足いくほどキャッチアップができていないし、技術が陳腐化するスピードが早すぎて、18年もウェブやっていたのに、積み重ねがほぼ意味をなさない、常に勉強していなければいけないんだ、会社員だったときは周りの同僚や環境もあって自然とキャッチアップできていたけど、独立した今、その努力を一人で意識的に続けていかなければいけないということに途方も無い気持ちになった。自分にそれができるのか。その体力、モチベーションがあるのか?地方で、一人でそれをやり続けるのか?

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」という本のなかで、「報酬を上げるためには「価値」を上げる必要があり、これには他人が追いつくのが難しい、簡単に陳腐化しない「資産(技術、能力、経験)」を積み上げていくしかない。高い場所に手が届くためにはたくさんジャンプしなければいけないけど、積み重ねた土台(資産)があれば少しのジャンプでも手が届く」ということが書かれてあって、著者はなるべく技術が簡単に陳腐化しない領域として編集の仕事を選んだとあった。ああ、私がウェブをやっていて虚しく感じるのはこれだ、と膝を叩いた。技術がすぐ陳腐化するから積み重ねがなかなかできず、常にハイジャンプをしないと高いところに到達できない。一体この先、いつまでハイジャンプし続けるのか?長く続けるためには、技術が急激に陳腐化しない領域、積み重ねできる領域の仕事を選んで、なるべくハイジャンプせずに少しのジャンプで高いところへ到達するほうがよいのでは?今全力で飛ぶよりもそのほうが長く続くのでは?という自分への問いがどんどん湧いてきた。
ウェブをやっていたころは生き残るために日々キャッチアップすることがいいことだ、技術が進歩しない業界は陳腐だ、と思っていたけど、なるほどそういう考え方、生き残り方もあるのかと目から鱗だった。

この先も長きにわたって続けていくために、積み重ねのできるデザイン、グラフィックをやっていこう。グラフィックから派生するウェブサイト制作以外のウェブ仕事、ウェブオンリーの仕事をやめよう。そう決意した。最近新しく作った名刺にも決意を込めて肩書きを「グラフィックデザイナー」とした。

でも、この決断には勇気がいった…。自分の18年を否定している気がして。でもこの先18年どころではなく長い時間デザイナーとして生きていく予定なのでいま決めることは遅くない。はず。良い意味でプライドを捨てて、何年かかっても自分を軌道修正できるのが私の良いところだと言い聞かせて気を取り直した。

営業をやめる。

3年前に独立してからほぼ営業というものをしなかった。営業をしてしまうと、相手との間にどうしても主従関係が発生し、対等にものづくりができない。対等にものづくりができないと、いいものができない。いいデザインをするためには、何よりもお客さんといい信頼関係を作ることだと日々実感しているので、直接会うことができない人との仕事はうけないことにしている。ウェブやSNS経由で仕事をもらえたらもっと幅が広がって稼ぐことができるのかもしれないけど、私はいいデザインがしたいので、いいデザインをするためにはいい信頼関係を作るというのをどうしても前提条件として外すことができない。

人との縁を大事にすること、そしていただいた仕事をめちゃくちゃがんばっていいものを作ること。そうすれば、人の縁が、作品が、次の仕事を連れてきてくれる。いい人と出会い、いい作品を作れば、次のいい縁や仕事が生まれる。
そう信じて活動している。

コンペをやめる。

悩んだことの一つ、コンペ。会社員時代から不毛な仕組みだなと思っていた。何人ものメンバーが、何日も、何十時間も考え抜いたものが一瞬で無しになる。中にはコンペのアイデアをほかのコンペで使い回す人もいたけど、それでとれる仕事ってどんな意義があるんだろう。

クライアントさんとしては信頼できるパートナーを探したいという意図があるのはすごくわかるけど、よほどこちらが気持ちを強くもっていない限り受注した段階で関係が主従になってしまうし、コンペのRFPなんかの少ない情報でよりよい提案なんてできるわけがない、と思ってしまう。だったらその時間を、クライアントさんと制作側で合宿するなりしてどうしたらよいものができるかじっくり話し合ったり深めたりする時間にあてたほうがよっぽどいいものができると思う。コンペの仕組み自体を否定はしないけど、そういう理由で自分はコンペをうけないことにした。

なにより、一人で活動していてコンペに落ちてしまうと、その活動していた時間がすべて無給になってしまうから、とてもじゃないけどやっていけない。だったらその時間を、お金をいただけるお客さんの仕事にあてたい。
よくわからない人たちのなかから選ばれるんじゃなくて、「あなただからお願いしたい」と思われる存在になりたい。というかフリーランスがやる意味ってそこだと思う。

正直、これが正解かどうかはわからない。けど、「自分で考えて」「自分で決めて」「それを実行して」「続けていく」ということのほうが大事だと思っているので、検証しつつ軌道修正しつつやっていく。

時代はどんどん変わる。その時々で流れにふんわりのりながら、ずっと心穏やかにデザインして生きていく方法を考え続ける。

#デザイン #フリーランス #ローカルワーク

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