産休育休ブランクからのマミートラックと脱出
駐在中に妊娠し帰任命令を受けた私の帰任、出産後。マミートラックに陥り、そこでもがきながら、諦めきれず再挑戦の道を探ります
妊婦生活と出産と駐在
帰任命令は出て本帰国したのは妊娠6か月の時。妊娠期間の半分以上は駐在中だった。志半ばでの帰任で駐在は続けたかったが、周りに相談できる人が誰もいない状況で、高齢出産、初産且つ言葉の問題(現地語で医療受けれるレベルではなかった)ので、結果的に当時の私の妊娠出産への不安を和らげる方向になったことも事実。周りに相談できる人、頼れる人がいたり、現地の医療体制と言語等の課題が低ければ現地での出産も可能だし、ご本人の状況と考え方次第だと思う。
とは言え、前例のない駐在員の妊娠で会社側も後任を準備できず、
「私が妊娠したせいで会社に迷惑をかけた、、、」
「一番嫌がっていた これだから女性は と言われることをやった」
という思いが強く
人生へのモチベーションは上がる一方仕事へのモチベーションはダダ下がりだった。
浦島太郎からのマミートラック
有休消化も兼ねて帰任1か月ちょっとで産休前の有休消化へ突入。仕事への熱意も下がっていたのと、待機児童が非常に多い辺りの年だったこともあり、育児休暇は約1年取ることにした。
「人生で子供とずっと一緒にいられる時は育児休暇中しかない」
という考えからだった。仕事のように思い通りにいかない育児にイライラしつつも、娘と一緒に毎日過ごす毎日は楽しかった。
結果、有休、産休、育休併せて1年3か月。駐在期間と合わせると約4年半日本で仕事をしていない。復帰するまで甘く見ていた。
いざ仕事と育児を両立させる!と意気込んで復帰したものの、
頭も体も仕事モードに切り替えられない。
復帰しても、日本の仕事の仕方についていけない。
異動で昔の人脈が使えない、、、
完全な浦島太郎状態。ブランクが大きすぎて最初は全然使い物にならなかったのだ
毎日色んなことを覚え直し、やっと仕事の勘を取り戻し慣れた頃には子供は毎週のように保育園で風邪を貰ってくるようになり
子供発熱→看病で数日休む→子供治る→私にうつる→治療で1-2日休む→また子供が発熱
という辛いスパイラルに入った。
仕事内容が自分一人でやれる仕事なら持ち帰ってやるなり、あとで追いつくなりできただろうが、会議出席が多い仕事内容でオンライン会議がほぼなかった当時会社に行かないと仕事にならない。よく休み、人に頼むから自分の仕事をしている感じが殆どしなかったし、成果も出せない。段々自信を失っていく。
周りからすれば駐在帰りのくせに仕事はあまりよくわかってないし、よく休むからフォロー入らないといけない。迷惑な同僚だっただろう。
スパイラルから何とか這い出せた頃には仕事も最小限になりマミートラックを走っていた。
脱出→再挑戦
マミートラックを走るのは悔しかったし、一生元のキャリアトラックに戻れないようで怖くなったが、ここで安定して成果を出せなければもとには戻れないと自分に言い聞かせ、耐え、頑張った。仕事の段取りの良さはこの頃身に着けた。→関連記事1,2
そのうち子供も段々丈夫になり呼び出しや欠勤がかなり減ってきた。
「だいぶ慣れてきたから、少し仕事を増やしてほしい。もう少し挑戦したい!」
という意思を折を見て上司に伝えた。その上司とはいい関係を築いていたこと、丁度異動があることからこの話を前向きに検討してもらえた。少し業務範囲も広がり、以前より責任ある業務を任せてもらえることになった。自分の自信も少しづつ取り戻し、前向きに挑戦する気持ちが出てきた。
長くなってきたので今日はこの辺で。
気持ちが前向きになった私に大きなチャンスが!というプロフィール最終章はまた次回。
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