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2021年を振り返って

2021年ももうすぐ終わる。自分としては、「新型コロナウイルス禍が早く終わらないかな、世界各国の政府はこの状況をなんとかしてくれないかな」と思っていたら一年が終わってしまった印象がある。執筆現在(12月19日)は、日本におけるCOVID-19の感染者数は落ち着いているように見えるが、オミクロン株という新たな変異株の感染者も出てきており、まだまだ油断できない。コロナ禍が長期化する中で、どのように社会生活を再開していくか探った一年だったようにも思う。

今年印象的だった出来事としては、一年遅れでの東京オリパラの開催が挙げられる。自分としては開会式と閉会式に期待を寄せていて、あとの運動会は正直割とどうでもよかった(しかし、学生時代は卓球部だったので、卓球に情が移る瞬間もないではなかった)。式典自体は局所的には良かったところはあったものの(森山未來のダンス、ON・松井の聖火リレー、Creepy NutsのDJ松永によるDJプレイ、パラ開会式の布袋寅泰登場など)、'12年ロンドン五輪や'08年北京五輪と比べるとインパクトに欠け、拍子抜けだった。自分は開閉会式のことを「紅白のスゴイ版」だと思っており、過大な期待をしてしまっていたのだなと反省した。オリパラの醍醐味はやはり世界から集まった体育会系たちによるマッチョな運動会であり、文化系で陰キャな自分には縁遠いイベントなのだと感じた。卓球だけは観てもいいが、後はやはりどっちでもいいなと感じた(水谷隼と伊藤美誠がダブルスで中国に勝って金メダルを獲ったことは素直に素晴らしいと感じた。しかし、水谷隼はいささかテレビに出すぎているとは思う。)。また、日本選手のメダルラッシュについては、コロナ禍で一部の海外選手が大会に参加できなかったことも考えると日本が下駄を履かせてもことは事実ではあるが、これから成長が期待できない我が国にとっていい思い出作りになったのではないかと考える。他人の金メダルを噛むことで知名度アップにつながった首長もいた。今をときめくお笑いコンビである千鳥や、世界のキタノとして海外からも評価されているビートたけしもメダル噛みをネタにしていて、非常にテレビ映えのする、皆が叩きやすい話題だったことがうかがえる。

また、今年はキャンセルカルチャーが力を持った年でもあった。キャンセルカルチャーとは、「著名人の行動や発言に対して大衆(あるいはその一部)から強い反発が起きて、不買運動や起用の取り消しを呼びかける声が上がる(朝日新聞globe『「キャンセル・カルチャー」が燃えさかるアメリカ いま何が起きているのか』より抜粋)」ことである。東京オリパラに関する物だけでも、何人もの関係者が辞任したりプロジェクトを離れたりした。自分としては、同意できるものもあれば、同意しかねる物もあったりした(ちなみに、キャンセルカルチャーの規範ともいうべき「ジェンダー平等」や「SDGs」も今年の流行語大賞の候補語となっている)。個人的にも、キャンセルカルチャーとまではいかないが、普段関わっている人から自分のツイートに関して指摘を受けたりすることも今年は何度かあった。自分としては、全ての人が自分のツイートに同意できるとははなから思っていないため、戸惑ったり苛立ったりすることもあったことは事実だが、相手の意見に対して自分の中でも腹落ちするものに関しては、指摘した人に同意して自分の意見を変えたりもしている。迂闊なことを言いづらい世の中になりつつあると感じる(ヘイトスピーチや誹謗中傷は勿論論外である)が、良かれ悪しかれキャンセルカルチャーはこれからも力を持っていくだろう。

そして、インターネット上で「ひろゆきブーム」が起こった。ひろゆき(西村博之)氏は、多数の誹謗中傷を含む書き込みがされていることで有名なネット掲示板「2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)」の創設者であり、2ちゃんねる関連の誹謗中傷の裁判による損害賠償から逃れるために日本を離れてパリに住んでいることでもおなじみだ。また、近年はビジネス書を何冊か出している。そのひろゆき氏がYouTubeの生配信で発言した内容を切り抜いたものが流行しているのだという(自称”メンタリスト”のDaigo氏や、イェール大学教授の成田悠輔氏、YouTuberの矢内東紀(えらいてんちょう)氏についても同様の「切り抜き」YouTubeチャンネルが存在する)。

なぜひろゆきがウケているのか自分なりに考えてみたが、「投げたボールをひとまず打つ」ことが挙げられると思う。世の中の事象について、人々は疑問を持っている。しかし、人生には限りがあり、限られた期間の中で考えて決断をしていくために、人々は「答え」を求めている。正体がわからないウイルスが世の中に蔓延しているコロナ禍で、その傾向が一層加速しているように思える。ひろゆきは、そういった疑問に(正しいかはともかく)もっともらしい答えを出しているように思える。ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領になったのも、ラストベルトの没落は移民の流入が原因だという「(テキトーで間違っているが一部の人々の留飲を下げる)答え」を出し、それが支持されたからだと思う。ひろゆきを疑う思考力も視聴者に養ってほしいと思うが、ひろゆきを超える、ひろゆきよりもマシな答えを出せる若い世代が出てくることを期待したい。

また、Clubhouseが一瞬流行し、ツイッターにスペース機能が実装されたのも今年である。Clubhouseといえば、アプリが当初iOSにしか対応していないことに疑問を持ち、非公式アプリで無理やり入って聞いていたらアカウントが凍結されてしまったことが忘れられない。仕方がないので、なけなしの英語力とグーグル翻訳を駆使して粘り強くClubhouseのサポートチームにメールを送り、アカウントを復活させてもらうことができた。この経験をClubhouseでいつか話したいのだが、すでに彼のアプリはコミュニティが過疎っており、おっさん・陽キャ・マルチ・スピ系の溜まり場になってしまっていて、自分のような素人陰キャがルームを開いても悲しいかな人が来ないのである。一方、ツイッターのスペースでは様々な人たちと知り合って話をすることができた。コロナ禍で一人でいることに寂しさを感じていたので、暇を潰す手段が増えて嬉しかった。また、皆さんの肉声を聴くことで、ツイッターのアカウント一つ一つも生身の人間なのだと実感することができた。問題がある人もいるにはいるし、危ない目に遭ったこともあるが、往年(90年代・ゼロ年代)のネットってこんな感じだったよなあと懐かしさすら覚えた。

また、サブスクリプションサービスに幾つか契約をした。NetflixとポリタスTV(津田大介氏がホストを務めるYouTubeチャンネル)、あと解約したものも含めると、PLANETS CLUB(評論家・批評家の宇野常寛氏が主催するオンラインサロン)、Kindle Unlimited、Spotify、Apple Music、YouTubePremium、Google Oneも使った。お金を払うことで良いサービスを受けられるのは素直にありがたい。しかし、解約しない限り自分があの世に行ってもそれらのサービスの請求が続くのだと考えると恐ろしくなる。自分がお金を払うに足るサービスなのかを折に触れて問い、取捨選択を続けることが重要なのではないだろうか。

そして、自分の男性性、そして避けられないおっさん性について向き合うことにもなったのも今年である。去年は『82年生まれ、キム・ジヨン』を読み、自分が生活する上での男性性について考えるきっかけになったが、今年は『「非モテ」からはじめる男性学』『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』といった、男性性について考える本が立て続けに(新書という読みやすいフォーマットで)出版された。自分は漫然と「将来は結婚して子どもも欲しい」と思ってしまっており、自分の職場も暗にそういった生き方を促しているように見えるが、上記の本を読んで、そういった「人生すごろく」ともいうべきロールモデルを再考しても良いのではないかと思い始めた。また、有害な「おっさん」性についても考える契機になった。元「バイトAKB」の経営するラーメン店がラーメン評論家を出禁にしたという話題に関連して、ラーメン評論家が問題について弁明したブログ記事を見た際に、思わず言葉遣いが気色悪いと思うと同時に、自分もそういったおっさん性を含んだ言葉づかいをしてしまっているのではないかという疑念を持った。また、個人的にも、コミュニティ内でのトラブルに取り組む際に、そういった気色悪い「おっさん」性について向き合う出来事があり、自分が年を取った際にそういった悪しき「おっさん」になってしまうのではないか、もしかしてもうなってしまっているのではないかと鳥肌が立った。歌手の岡崎体育が『おっさん』という新曲を今年発表したが、若く新しい価値観を知り、有害ではない年の取り方をしていきたいとその曲を聴いて感じた。年甲斐もなく絵文字を大量に使ったLINEをしたり、一方的にLINEを送り付けて返信を促したりする行いは慎んでいきたい。ただ、そういった有害な男性性やおっさん性は全くなくなることはないと感じているので、これからも自分は男性性・おっさん性と向き合い、自分なりに悩んでいくことになるだろう。

ここまで、今年の振り返りを行ってきた。来たる2022年への展望・意気込みも示したい。

来年は、「国際芸術祭あいち2022」が開催される予定である。前回の「あいちトリエンナーレ2019」で、私は多くの人と出会い、幾つものことを学んだ。次回の「あいち」では、そういった出会いから一歩踏み込んで、現代アートをより楽しみ、味わうことができるように自分なりにできることをやっていきたい。

そして勿論のこと、仕事にも精進していければと思う。自分でも、仕事について課題が山積していると感じる。実務能力の高い人に学び、目の前の課題を一つ一つ乗り越えて、少しでも成長していきたい。自分で考えて動くことに苦手意識があるため、もっとそういった能力を身に着けていきたい。

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