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美術の記録:シャルロッテ・サロモン(1917ー1943)特別展 09.09.23 ミュンヘン・レンバッハハウス

ミュンヘン、レンバッハハウスの特別展《シャルロッテ・サロモン、〈生?それとも劇場?〉》を見ました。
レンバッハハウスはカンディンスキー、マルク、クレーなど『青騎士』の画家たちのコレクションで有名な美術館です。青騎士に関する投稿は→

上の写真はレンバッハハウスの本館ですが、シャルロッテ・サロモン展は別館のクンストバウで展示されました。クンストバウは地下鉄駅『ケーニヒスプラッツ』のホームの上にあります。

地下鉄『ケーニヒスプラッツ』駅のホーム。
フランツ・マルクの《青い馬》とカンディンスキーの《インプレッションIII(コンサート)》が駅の壁に描かれています。

地下鉄駅の階段からガラスを通してみた展示場クンストバウ。

階段を上がると、入口があります。


シャルロッテ・サロモン特別展のパンフレット。

シャルロッテ・サロモンは『美術界のアンネ・フランク』と言われていますが、それはどうでしょうか?
二人は同じく若くして強制収容所で殺されたとはいえ、年齢も残したものも違います。
アンネが10代半ばの、まだ書くトレーニングを受けていない少女の、迸るような感性を持つ書き手であったのに対し、シャルロッテは18歳の時にベルリン芸術大学に入学し、美術を学んでいました。

彼女の残した文と絵は、客観と主観、過去と未来が交錯・交感する一つの「台本」になっています。

シャルロッテの実母は自殺、1930年に父親アルベルト(高名な外科医でした)が再婚したパウラ・リントベルクは有名な歌手で教養深く、シャルロッテは彼女から大きな影響を得ました。
ナチスのユダヤ人迫害が厳しくなる1939年、シャルロッテはベルリンから祖父母の住む南フランスに逃れ、両親はアムステルダムに逃れました。
しかし、シャルロッテは1943年6月に結婚したばかりのアレクサンダー・ナーグラーと共に同年9月27日、ニースで逮捕されました。
10月7日、パリ郊外から家畜輸送用列車でアウシュヴィッツに連行され、10月10日にガス室で殺されました。妊娠5か月、26歳でした。
夫のアレクサンダーは1944年1月2日、アウシュヴィッツで命を落としました。

両親は難を逃れ、戦後の1947年、シャルロッテがいた南フランスを訪れ、そこでシャルロッテの作品を渡され、アムステルダムに持ち帰りました。
シャルロッテの作品は現在、アムステルダム・ユダヤ美術館に保管されています。


今回の特別展《生?それとも劇場?》では237枚のグアッシュ絵画に付けられた言葉、セリフを記録した別紙がありました。全30ページ。

シャルロッテは『Singespiel』と名付けており、3部構成になっています。

まずキャスティングの説明。

最初のページ。左側のナンバーは展示の絵につけられたナンバーです。

『第一幕  
1913 
11月のある日、シャルロッテ・クナレは親の家を出て、水に身を投げた』

というト書きで始まります。

実はシャルロッテの母親だけでなく、祖母も自殺しています。

最後のページ。『生?それとも劇場?』で終わっています。

シャルロッテはクラシック音楽を聴きながら制作していたそうです。
作品の中にはベートーヴェン《第九》の歌詞を記したものもありました。

これは世界各国で開催された展覧会のポスター。

日本でも1988年、高島屋で開催されています。

『高島屋ギャラリーにてオープニング』と書かれています。

その影響もあるのかもしれませんが、シャルロッテ・サロモンについてググると日本語で結構多くの情報があります。

FOTO:©️Kishi

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