雑感:コロナ禍、ロックダウン、ワクチン、トマト・ケチャップ、ジークフリート

ここのところnoteへの執筆を怠っています。
いろいろ理由はあるのですが・・・

まずPCの調子がいまいちなこと。

最近はたいていのことはスマホかiPadで済みます。
PCを立ち上げるのは、原稿や重要な仕事、連絡など『よりきちんとした』仕事をする時で、note もその範疇に入ります。
ところがコロナ禍でそのような機会も減り、ついついPCから遠のいてしまいます。それが原因かどうかわかりませんが、立ち上げても、PCがサクサク進まないようになってしまったのです。

ドイツはロックダウンが長引いています。
昨年11月からコンサート・ホール、劇場、映画館、カフェ、レストラン、ホテル、観光施設は、ずっと閉まったままです。

これまでコンサートとオペラに、年間120回以上は足を運んでいた私の生活は激変しています。

ストリーミングがたくさんありますが、そして、その良さもありますが、LIVEを知っていると、結局、LIVEの面白さ、素晴らしさをあらためて認識することになってしまい、欲求不満が募ってしまうのです。


昨年3~5月の最初のロックダウンの時は、この時間を有効に、と思い、断捨離したりしましたが、それも一時的なことでした。

そのロックダウンが今回は11月からもうすでに6カ月続いています!

3・4月には一時的に、アポをとり、過去24時間以内のコロナ陰性証明を提出しての買物ができるようになりましたが、それもすべての店ではありません。ネットで購入した品物を引き取るだけ、というのもありますが、その対策と方法は次々に変わるので、そんな複雑な中、街に出かけるのも億劫、ということになってしまいます。

スーパーマーケットは開いていますが、それ以外はネットでの購入になりますが、ネットで素敵なものを見つけても、「何のため?」と思ってしまいます。
人と会えるわけではないし(現在は1世帯を訪問するのは1人のみに制限。22時以降の夜間外出禁止)、カフェやレストランも閉鎖中で、やはり「何のために買う?」と思ってしまいます。

で、気持ちが下がってしまう。

『不要不急は重要』なんだと思います。

一方で、1年以上にわたり、激務を強いられている医療従事者、コロナで亡くなられた方々やその家族、失業してしまった人たち、学校閉鎖で辛い思いをしている子供たちやステイホームで仕事をこなしながら子供の面倒も見ている親たち(とくに女性の負担が大きくなっています)などのことを考えると、自分を諫め、粛々として決まりを守り、毎日を大事に生きていくしかないと思っています。


さて、ドイツはここにきてワクチン接種が急速に進み始めました。

シュパーン連邦保健相(40歳)が、「(ワクチン配給数は)トマト・ケチャップを出すようなもの」と発言していました。

つまりトマト・ケチャップは開栓後、最初はなかなか出づらいのですが、その後、ドバッと出るのでそのことをたとえたのだと思います。

これで思い出したのは、シュトゥットガルト・オペラのワーグナー作《ニーベルンゲンの指環》の第2夜《ジークフリート》です。このプレミエは1999年11月14日でした。

第1幕、Tシャツにジーンズ、スニーカーを履いて登場したジークフリート(ティーンエージャー)が、養父ミーメの用意した食事にトマト・ケチャップを大量にかけるのです。それを見て、観客席からドッと笑い声が起きたのですが、ドイツの事情に詳しくない方は、その笑いの意味がよくわからなかったと思います。

当時、ドイツでは「子供たちがなんにでもトマト・ケチャップをかける」として大きな批判が起きていました。それを演出にとりいれたわけです。

シュパーン保健相も当時18歳、きっと、自分でもトマト・ケチャップをかけた経験から、思わずこのような比喩をしたのではないか、と思いました。

ついでに言うと、この場面の演出は印象的で観客の頭にずっと頭に残るわけですが、第2幕でミーメがジークフリートを殺そうと、デザートのプディングに毒薬をかけるシーンに結び付いていきます。

こういう演出、ただただその時の社会状況や話題を切り取っているのではなく、長いスパンで道具として使う、その心理的効果は大きく、巧いと思わざるをえません。

なお、演出はヨシ・ヴィーラ―とセルジョ・モラビトでした。

ヴィーラ―は演出家です。
モラビトはドラマトゥルクですがヴィーラ―と一緒に演出家として名を連ねています。
モラビトは2020/21年シーズンからウィーン国立歌劇場の主席ドラマトゥルクに転出しました。


さて、ドイツでは一昨日から新規感染者指数も下がる傾向に転じました。だからといってまだ安心できる状況ではありません。

もう少しの辛抱です。

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