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ドイツ劇場博物館の特別展 23.07.23 "In meiner Vorstellung" バイエルン王ルートヴィヒ2世《王のためだけのクローズド公演》

7月23日、ミュンヘンにある劇場博物館の特別展《私の公演で》に行きました。
4月19日から7月30日まで開催、案内ガイド付きの日程が決まっており、なかなか行けなかったのですが、最後になってやっと行くことができました。

ノイシュヴァンシュタイン城などの建設で有名なルートヴィヒ2世ですが、1872年から1885年の間、全部で合計209のオペラ、演劇、バレエの「王のためだけのクローズド公演」をしています。それにスポットを当てた特別展だったのですが、シンポジウムも含め、内容がとても充実しており、見逃したものも多くとても残念に思っています。

雨の雫のような円盤にはクローズド公演の題目と場所、日にちが書かれています。

このワーグナー《パルジファル》公演数の多いこと!
1884年5月3日から1885年4月29日まで合計8回の公演です。
中には連日公演もあります。歌手もオーケストラも大変だったと思います。
《パルジファル》の上演は当時、バイロイトの祝祭劇場だけで許されていたのですが、ワーグナーの大スポンサーだったルートヴィヒ2世なら問題ない!
ワーグナーは1883年2月13日に亡くなりましたが、王はそれから1年以上経ってからクローズド公演をさせています。

《トリスタンとイゾルデ》は1881年4月29日と1884年4月25日の2回だけ。

《トリスタンとイゾルデ》の世界初演は1865年6月10日でした。
それ以前、ウィーンで77回のリハーサルを重ねたものの、結局上演はできず、1864年にバイエルン王に即位したルートヴィヒ2世のおかげで世界初演ができました。


ルートヴィヒ2世は単に観客の一人ではなく、公演にはかなり積極的に関わっていました。新技術にも大きな興味があり、それを築城だけではなく、劇場そして公演に利用させたり、美術、衣裳、ドラマトゥルギーにも深く関わっていました。

劇場博物館を出て、王宮へ。
一般の見物客がいるため、裏口を通りました。
ここはルートヴィヒ1世(ルートヴィヒ2世の祖父)の妃テレーゼが謁見のために通った階段。

ガイド二人の説明に聞き入ります。全部でなんと約2時間。
俳優のように実際のセリフを喋ったり、手紙を読み上げたり、情熱と心のこもった案内でした。

ルートヴィヒ2世はオリエンタルな題材にも興味がありました。
王宮に温室を作り、そこにステージ美術を再現させたり、動く月を出させました。

温室全体の図面。1871年頃、水彩画。
これは王宮の最上階に設営されたと記憶していますが、間違っているかもしれません。
池もあります。
池はガイドの二人の考えだと、ルートヴィヒ2世の溺死体が見つかったシュタルンベルク湖のミニチュアではないか、ということでした。縮尺が合致しているそうです。
ところが案内参加者の中に、「一部縮尺が違う」と言い出した女性がいて・・・
なんだかすごいなぁ、と思いました。

さて、この温室は現存していません。
第二次大戦中、ナチスが鉄を武器等に転用させたそうです。

王宮内のクヴィリエ・テアター。


ルートヴィヒ2世が目指したものは何だったのか、ルートヴィヒ2世は「誰」だったのか・・・
それをクローズド公演の際に残された第一級資料、つまり手紙やステージ・モデル、衣裳などの資料をもとにたどり、考えていく・・・

ルートヴィヒ2世は19世紀にすでに、20世紀フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926ー1984)の『ヘテロトピア』を先取りしていたように思います。

FOTO:©️Kishi

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