49歳で漫画家デビューした話③
もともと、大学進学希望ではなく、卒業したら郵便局に就職しようと思っていた。
しかし、大友作品などに夢中になり、漫画を描きたいと思い始めていた。また、金曜ロードショーで「天空の城ラピュタ」を観てすっかり夢中になり、「ラピュタは本当にある」と思い込む。「トトロ」を劇場で観ては山に行ってトトロも探すようになる。
「大学に行って、漫画家かアニメーターになる時間がほしい」
と思うようになる。
そんな訳で、お金もないので国立大学、岩手大学の受験を目指し、勉強を頑張った。
なんとか合格する事ができ、大学の寮に入った。そこは三人部屋で、バンカラの気風が残っており、酒を飲まされては芸をやらされる、酷いところだった。
大学に入ったので、まず漫研に入らねば、と考えた。岩手大学の漫研と言えば「痴呆人」。これは県下でも有名であった。
しかし、自分はまだ一本も漫画を仕上げた事がなく、自信がなかったため、夏休みに一本描き上げたら入会しよう、と考えた。
そして夏休み、なんとか一本の漫画を仕上げる。「これは『ガロ』に載ること間違いなし」と思い、早速投稿する。当時は「ガロ」に載ることしか考えていなかった。大学時代はずっと「ガロ」に投稿し続けることになる。その投稿作は勿論落選した。
とにかく自信がついたので、寮の漫画好きな友人Tくんを誘って、漫研に入会した。学祭前の頃だった。
漫研には、色々な漫画好きの同輩、先輩がいて、刺激を受ける。しかし、自分はこの中で一番才能がある、という根拠のない自信があった。それを見せてやる、と思っていた。そして、「冬増刊」のコピー本に、初めて漫画を描いて提出する。
それは、少なからず漫研会員に衝撃を与えることになった(と思う)。
でもその頃から自覚していたのは、「自分には描きたいことやフェチ(可愛い女の子が描きたいとか)がない、でも何かを描かねばならない」という思いがある事であった。
おそらくそれは、幼少期に読んだ「ハムサラダくん」の影響だったろうと思う。とにかく自分は何かを描かねばならない、という謎の義務感と若いエネルギーだけで突き進んでいた。
そして次作を提出し、漫研内に再び動揺をもたらした。自分の才能に絶対の自信を持つに至った作品である。
しかし、そのせいで早々と気が済んでしまい、あとは気の抜けたような作品を描き続ける事になる。これは卒業後の後々まで同じようなことを繰り返し、遅いデビューに至る原因となる「サボりぐせ」のはじまりだった。
ひとまず続く。
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