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わくわくの陰謀渦巻く宮中:大河ドラマ「光る君へ」第2話感想
第二話は平安時代の特徴が強く出ていたと感じた
陰謀、身分、性別による辛さ
特に下男と女性の扱い方は時と場合によっては酷いものだ
女性は家柄だけで選ばれて、その後ろによって疎遠とされる
だからこそドラマの詮子はそういったことで見ず、父親の言葉も半分である道長をそばに置いておきたいのだろう
とにかくこの話題では円融天皇が詮子に対して酷すぎる
平安時代では当たり前のことだろうが、現代の感覚で見てしまうと本当に気持ち悪いと思ってしまう
詮子、子供と一緒に実家に帰りなさいと勧めてしまう…
そこに出てくる「穢れ」
藤原道兼が父親に言われた役目は平安貴族が何よりも嫌う「穢れ」を衝動のまま家に持ち込んだことが原因だろう
殺人を犯す以前から「暴力者」というイメージもあったからこそ
「あいつにはあいつの役目がある」
と、一話から言っていたのを思い出す
そういう汚れ役としてこれから道兼は父親に利用されていくんだろうと思うと、一瞬の行動が何に繋がるのか分からないと考えさせられる
そして今回最も注目となったのは本郷奏多さん演じる師貞親王だろう
子供時代はただの悪ガキで、そのまま成長した暴君のように映された
とんでもないクソ野郎と思いつつも、どれほど暴れたとしても自分から離れなかった為時の存在を重宝する姿はやはり上に立つ人間なのだと感じられる
どれだけ暴君であろうと、君子であろうと人を見る目というのは重要である
また師貞親王と同じく勉強が嫌いな太郎が比較がされているようで面白い
同じ不真面目、勉強嫌いだとしても立場が違うというだけで人間力が違うのかと感じられた
能力的なものではなく、人の上に立てるのかどうかという責任力の違いだろう
暴君として現在描かれている師貞親王だが、やろうと思えばできるカリスマ性を実は持っていそうだ
(本郷奏多さんが演じているからそう見えるだけなのかもしれないが)
とはいえ、身分ひとつでここまで違うのだという比較が師貞親王と太郎とで上手く表現されていると感じた
最後に第二話最大の見どころは「夕顔」がでてきたこと
正体を隠して互いに逢瀬を重ねていた光源氏と夕顔のように、ドラマの男女も正体を隠して文を交わしていた
ここで注目なのが源氏物語とドラマとでは男女の立場が逆転しているということ
オマージュだからこその内容が面白く、平安時代で貴族に仕えて文字が読める女が文字を書けない市井の男に嫁ぐことがあるのだろうか…?
そこだけふと疑問に思うことだった
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