鈴木家の日常 ⑯「病気になってごめんなさい」
「普通」の基準は一人一人違うから、「普通」という言葉をあまり使わないように生きてきた。これは父の教えだ。今思えば、その教えに都合よく言いくるめられていたのかも知れないが、おかげで私は人と違うことに違和感を覚えることなく、「ちょっと違う」人や行動、出来事に対して比較的柔軟だった。そんな私に、どうしても納得できない衝撃的な事が起こった話をしようと思う。
私は鈴木家に嫁いでから、幾度か救急車で搬送されたことがある。1度目はショウを産んで2週間後。深夜2時、頭が沈んでいくような錯覚に落ちるほどの激しい頭痛と嘔吐、初めて体感するものだった。生まれたばかりのショウを家に残し、震える手で夫へのメモを残し、私は一人で救急車を呼び、一人でそれに乗り病院へ行った。
そのとき夫はというと、どれだけ起こしても起きない。叫んでも揺すってもびくともしない。泥酔状態で深夜1時に帰宅して、私とショウの眠るベッドの隣に並んだベッドへワイシャツのまま倒れ込んだのだ。どれだけ起こしても起きるはずもない。
私は近くの脳外科に検査入院をすることになり、病院から夫の携帯へ連絡をしてもらった。もちろん留守電。看護師が留守電に要件を入れ、夫からの連絡を待ちながら、私は病院の救急処置室で点滴を受けながら朝まで眠った。
翌朝、病院からの電話で目覚めた夫は、放置されたショウに気付いたものの、何をして良いか分からずに鈴木家の母へ連絡をする。もちろん義母は駆けつける。おそらくスッタモンダがあったのであろう、夫が病院へ来たのは、お昼を過ぎた頃だった。
夫「何やってんのさ、育児放棄されたショウ、朝から大変だったぞ」
私「育児放棄って。そんな言い方」
夫「母さんに来てもらって助かったけど、家開けるならひと言言ってくれよ」
私「起こしたけど起きなかったじゃん。ちょっともういい?結構辛いのよ」
夫「…」
私「で、今ショウは?」
夫「ああ、母さんがみてくれてる。あとで礼言っとけよ、そういうとこ煩いから」
こんなふうに、病人とする会話と思えない会話をしていた私。なんだか虚しくなった。おそらくこのやりとりを聞いていたであろう担当医師が、私のもとへ近づいた。
医師「ご主人ですか、奥さんの容態ですが、MRIにもCTにも脳の異常は見当たりませんでした。おそらく一時的なものか、強い偏頭痛でしょう」
夫「ほんとすみません、たかが頭痛で大騒ぎしちゃって」
医師「いやいや、頭痛は怖いものですよ、それに、私は男性だから分からないけど、産後の血の道というか、そういうのはあります。強いストレスもあるんでしょうね、産後は大変ですからね。奥さん大事にしてくださいよ」
夫は笑いながら、「血の道は知らないけど、こいつに限ってストレスなんて」と私の方を見た。
医師はため息をひとつつき、私の方をみる。
医師「もう少し入院して様子を見ましょう。お子さんのことはご主人とお義母さんに任せて」
私は泣きながら頷いた。医師の意図はわからないが、このひと言で私の心が少しほぐれたのは確かだった。本当は生まれたばかりのショウを義母に任せていること自体心配でならないが、自分の辛さを全く理解していない夫にほとほと嫌気がさした。
以来私は度々偏頭痛を起こす。近所に古くからある内科医院に最新設備を完備した脳外科があり、定期的にMRIとCTを撮る。数年ごとに小さな白い点がポツポツとできてくる。1年毎に撮っているから、私でも見比べたらすぐにわかる。
「あの旦那さんとお姑さんじゃ気苦労が絶えないでしょう?環境何変われば、もしかしたら偏頭痛何消えるかもしれないけれど」
院長はそう言って優しく笑う。
同じ町会だから、うちのことはよく知っている。むしろ義父母もここのかかりつけだ。2人は年一回の健康診断をここで受診する。風邪をひいても、お腹を壊しても、体が痛くなればとりあえずここへ来る。
ある時、初めて体験した出産直後と同じ、いやあれ以上、頭が破裂しそうな頭痛に襲われた。喋ることもままならないから確実にあれ以上だった。頭痛持ちの私でも、明らかにいつもと違う、本当に初めて経験する例えようのない痛み。1時間に8回嘔吐して、ゆらゆらと目がまわり、私は洗面所の前に倒れ込んだ。バタンという音で気づいてくれたのは、クラブチームの練習に行く直前のショウだ。ショウは迷わず救急車を呼び、私の身体を摩りながら夫へ電話をかける。
「母さんが倒れた、すぐに来て」
先に来たのは救急車だった。
救急隊「君は息子さん?大人は誰かいない?」
ショウ「お父さんがもう来ると思います」
バイタルや意識をチェックして、タンカに乗せられ家を出たところに夫登場。
救急隊「ご主人ですか?一緒に救急車へ乗ってください」
夫はヘラヘラと笑いながら「大袈裟だな」と病院到着まで何度も口にした。
脳梗塞だった。発見が早く、幸い軽く済んだ。手足の痺れも落ち着き、2週間で退院した私は、かかりつけの病院へ毎日の点滴と投薬治療を続けながら、当面の自宅療養を始めることに。
その翌朝一番、夫からのひと言。
夫「明日、税理士が決算資料確認に来る。資料って当然ちゃんと準備済んでるよな?」
私「え?昨日まで病院にいたんだよ?私」
夫「なら今日、大丈夫だよな、やれるよな。退院したんだし」
私「それ、私じゃなきゃダメなこと?」
夫「そうだけど?」
私「…」
夫にとって、私は人じゃないと気付いた。いや、彼も本当は人じゃないのかもしれない。そんなことをふんわりと考えた朝。
なんやかんやと文句を言いつつも、一人いなる勇気もなく日々をやり過ごし、ようやくショウが社会人3年目を過ぎた夏の出来事。
連日35度を超える酷暑が続く中、夫からの指令が。
夫「祭りの日、今年も神輿が立ち寄る。その時草と枝が伸び放題じゃみっともないな、お前片しとけよ」
私「え?いつものように業者じゃダメなの?」
夫「今年は頼み忘れてて、今朝連絡したら、予約いっぱいで祭りの後になるらしい」
私「あなたは?」
夫「俺にそんなこと無理だ」
祭りまであと4日、私は仕方なしに週末の祭りまでに庭木の手入れをすることになった。30度を超えると炎天下での作業は難しいからと、早朝と夕方の比較的涼しい時間で始めることにした。すると、夫からの苦情。
夫「間に合わないだろ」
私「間に合わせたいのなら一緒にやりましょうよ」
夫「俺には無理だ」
私は、炎天下につばの大きな帽子をかぶり、大量の電解水と岩塩を用意して作業に取り掛かる。熱中症対策なら、ショウのサッカークラブで毎年講習を受けてきたおかげで身についている。楽勝のはずだった。
脚立に上り高木をきれいに伐採して、すべての雑草を取り除く。道路添いの木々を剪定して余分な枝を切り落とした。大きな植木鉢を7つ、倉庫の中から運び出し駐車場の外壁に沿って朝顔を植えた。祭り前日には事務所脇にテントを張り、裏庭のベンチを4脚とテーブルを2台運んだ。何となく体の熱が抜けないことに気づいたのは、祭り当日の夕方だった。
私「今日は少し寝かせてほしい」
夫「無理だろ。俺も神輿を担ぐんだ。神輿が立ち寄るときには酒を振舞ってもらわないと」
私は渋々準備を始めた。頭がガンガンと脈を打つ。脈がどんどん強くなったが、私は引きつり笑いを浮かべながら酒を振舞った。神輿が立ち去ったとき、私の緊張がぷつんと切れた。気づいたときには病院のベッド。再び脳梗塞だ。付き添ってくれたのは、またしてもショウだった。
ショウ「大丈夫?病院だよ。今先生呼んでくるよ」
医師「かなり酷い熱中症ですよ、恐らくそのせいで血液がドロドロになって血栓ができたのでしょう。ただ、入院は今、新型コロナ重症患者のみなんです」
血栓は首の後ろに二か所、海馬が少し委縮していた。点滴をして薬をもらうと、ショウに抱えられて家に帰った。
リビングでは、夫が寝転がっている。
夫「遅かったな、俺、アバラ折れてそうなんだ。ショウでもお前でもいいから車出してくれ」
ショウ「母さん脳梗塞だったよ」
夫「大丈夫だろ?前にもやってんだ。それよりショウ、車出せ」
ショウ「先に母さんだろ?」
夫「いいから出せ、俺が出せって言ったら出せ」
私はショウに「私はいいから」と小声で伝え、夫を夜間救急へと連れて行かせた。夫のやかましい怒鳴り声が脳に響き辛かったからだ。
寝室で一人眠った。一人の寝室になってもう20年が過ぎた。一人で眠っていられることが幸せだった。なぜかそんなことを考えながら眠った。
ショウは夏季休暇の間、私と夫の世話を惜しげなくしてくれた。夫は右の一番下のアバラを一本折っていたが、幸い内臓などに刺さったりはしていない。とにかくショウを呼びつけ「〇〇を買ってこい」「〇〇が足りない」「〇〇してくれ」と、びっくりするほど注文が多い。対する私は、ただただ寝ていたい。食事を摂りたいとも思わず、水を飲み眠った。トイレすらいきたくならないのだ。
それから10日後、ショウは夏季休暇が明ける。
ショウ「会社に事情を話して、もう少し休みをもらうよ」
私「大丈夫よ、お父さんだってショウがいないと分かれば静かになるでしょう?」
ショウの仕事が始まると、夫が呼ぶのは私だ。呼ばれても無理だ。
「チャーハン作ってくれ」「今日はそうめんの気分じゃない」「水を持ってこい」「薬の時間だ」夫の声がやかましくてわずらわしい。
私「ごめん、私も結構つらいんだ」
夫「俺の方が大変だろ」
幾度もこのやり取りをした。
このまま夫と老後を迎えてしまったら、私はこの男を殺してしまうかも知れない。「この人と一緒になら」
もしもあの時、結婚を決めたとき。
「この人と一緒なら、しんどい時に支えあえる」
「この人と一緒なら、身体が動かなくなっても助け合える」
そんな基準をもって結婚を決めるとしたら、私はこの人を絶対に選ばないだろう。60手前の今、この夫との老後は不安しかない。