ウェルカム・トゥ・アメリカ
去る5月、アメリカ合衆国の永住権を取得した。申請から1年3か月待った末だった。理由はよくある「夫がアメリカ人で」というやつだが、わたしたち夫婦はもともと日本に住んでいて、そのまま日本に住みつづけるのが不可能だったわけではなかった。けれど、日本に5年暮らした夫の精神状態は悪化する一方だった。塞ぎこみがちで、ホームシックになり、外に出たがらなくなった。ニューヨークに越してきてしばらく経ったいま、移住はふたりにとってベストな選択だったと信じているけれど、もう夫と日本に住むことはないのだと受け入れるのはむずかしかった。
日本が大好きで、日本語を巧みに話し、長く日本に暮らす外国の人たちもいる。でも夫はそうではなかった。たまたま仕事の関係でやってきただけで、アニメも寿司も神社仏閣も日本語も興味がなかった。最初は観光気分でおもしろくやっていたが、そのうちいやになってきた。出かけるたびにちらちら見られ、英語を話せば振り向かれ、いつまでも部外者扱いされて、日本のコミュニティになじめない。たどたどしい日本語を話せば「じょうず」「すごい」と言われ(※)、そのくせ賃貸では「外国人お断り」、ちょっとこみ入った話になると「外国人だからわからないだろうけど」。やりたいことがたくさんあるのに、ことばと文化の壁が越えられない。会社では技術を買われるけれども、自分の意見やアイデアには耳を貸してもらえない。残業や年功序列といった風習も理解できなかった。アメリカならことばが通じ、だれも自分を外国人扱いせず、無駄な残業や飲み会もない。夫が働く業界はアメリカのほうが進んでいて、転職の選択肢も多く、能力主義で、物価は高いが日本の倍の給料が出る。これ以上日本にとどまる理由が彼にはなく、わたしとしても、日本にいるよう説得する材料は見つからなかった。日本が好きだから、なんていうふわっとした精神論で、夫に我慢を強いるわけにはいかなかったのだ。
わたしはこれまでも引っ越しが多かったから、この移住もそのひとつとして前向きにとらえていた。日本の国籍を捨てるわけではないし、ただ外国に引っ越すだけ、北米には前にも暮らしたことがある。ところが、周囲の人たちはそうではなく、わたしたちよりよっぽど重く受け止めているようだった。アメリカの家族は「あなたにとって人生の一大事」だの「あなたとしては不本意かもしれないのに勇気ある決断」だの「あなたという移民を受け入れるこの国はなんて幸せなのか」だの、やたらスケールのでかいコメントをくれた。日本の家族からは「アメリカにとられた気分」だの「今生の別れ」だの「もう〇〇ができないし△△へも行けない」だの、やたらネガティブな発言が多かった。わたしだって、永住権の申請プロセスはストレスだし、夫は先にアメリカへ行ってしまって遠距離別居中だし、新生活への不安がないわけではなかった。ひとりっ子だから、日本に残していく両親のことも心配だった。できるだけ明るく考えようにも、そういう発言を繰り返し聞かされると、自分の不安と重なり合って、少しずつ心臓に泥がたまっていくようだった。
いちばんつらかったのは、「日本が好きな人と結婚してほしかった」と言われたとき。わたしを愛してくれる家族の、正直な気持ちだったと思う。でもそれは、夫を否定し、わたしを責めることばだった。だれも幸せにならないことばだった。夫がかわいそうだと思った。日本で暮らしたいとわたしが言ったから、5年間も無理してがんばってくれた。そしたら、日本がすっかりいやになってしまった。日本との関係をこじらせる前に帰国していればよかったのだろうか。わたしと出会っていなければ、すぐアメリカへ帰っていただろうに。
わたしを日本に引き留めようとする人たちは、わたしたちが日本に住むべき説得力のある理由を言えなかった。日本はごはんがおいしくて、自然がきれいで、安全で……などと言われると、虚しい気持ちになった。わたしをアメリカにとられたというのはそのとおりかもしれなかった。わたしは日本を選ばなかったのだから。家族を思って心が苦しくなるとき、いつもどおり明るく、またねと送り出してくれる友人たちの存在はありがたかった。これからずっと仲よくいられる人も、もう二度と会わない人もいるだろうが、彼らとの気軽な別れは、気持ちを前へ向かわせてくれた。
飛行機のなかでわたしは泣いた。といってもいつものことだけど。どこかへ旅立つとき、飛行機や新幹線でよく泣くタイプなのだ。悲しんでいる家族を見るのは悲しかった。両親は空港へ来て、わたしが荷物検査を終えてゲートへ歩き出す最後の最後まで見送ってくれた。機内でひとりになり、片道チケットを握りしめながら、体がふたつに割けた気がした。日本へ帰りたい体と、アメリカへ行きたい体。海の上を飛んでいく飛行機のスピードに、体がついていかないような、変な気分だった。数か月ぶりに夫に会えるのはうれしかったけれど、全然ちがう方向に飛んでいきたい気もした。ひとりでアルゼンチンかどこか旅できたら、気持ちが軽くなりそうだった。
ロサンゼルスの入国審査場。担当のオフィサーはヒスパニック系で、わたしのビザを見るなり「夫は白人か」と訊いてきた。その質問はナシじゃないかと思ったが、移民として入国できるかどうかがかかっていたから、わたしはおとなしくイエスと答え、なんだかおかしくなって思わず噴き出した。彼から見れば、わたしは「金持ちの白人男と結婚して永住権を手にしたアジア人女」のひとりでしかない。生活に余裕があるわけではないが、それでも事実にはちがいないだろう。オフィサーはやっぱりなと言わんばかりにガハハと笑った。そして、わたしのパスポートに勢いよくスタンプを押した。
「おめでとう! ウェルカム・トゥ・アメリカ!」
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