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「素直」についての考察

ジェーン・スーさんと堀井美香さんのポッドキャストover the sun を聞いていた流れから、ジェーン・スーさんが桜林直子さん(サクちゃん)と始めた「となりの雑談」の方も聞くようになりました。

「ポケットの中のものを出して、お互いに見せ合って『こんなに違うんだね』と言ってまた閉まう」。そんな説明をスーさんがいつかされていたのですが、違いを受け入れたり、変わることを強要されないのが聞いていてとても楽です。

そんな「となりの雑談」で先日インスタライブが行われ、私も拝聴。そこでキーワードとして出てきたのが「素直」という言葉でした。リスナーさんからのメールに書かれていた「親のことをよく聞く『素直』でいい子でした」という一文。この「素直」って誰に対してだろうね?という問題。

他人の期待にこたえ続けていると、自分が何を喜ぶかとか、何が楽しいかとか、自分の「素直」が分からなくなる、という話でした。

巧妙に置き換えらえれる自分の素直

私自身は、父親から「素直じゃない」とずっと言われてます。「はいって言えないのか」とよく怒られましたね。自分の素直は、「素直じゃない」と否定されたわけです。これサクちゃんも言ってた「素直」の意味がわからなくなるやつ。

逆に母からは「自分の頭で考えなさい。」ということをよく言われました。これは一見、とても真っ当なことなんですが、子どもの頃の話なので、自分がどういう環境で育ち、そこでどんな知識や考えをインプットするかに対して、かなり受動的なんですよね。だから、私は自分で考えてるつもりだったけど、実は母の敷いたレールに乗せられてたのでした。(もちろんそうでない家庭もあると思うけど、あくまで私の場合。)

だからやっぱり自分軸の「素直」がわかってなかった。そのことに気づいたのは、就職で家を出てからでした。

素直な思いを邪魔するもの

スーさんもサクちゃんも、自分が苦手な人からは距離をとった方がいい、ということをよくおっしゃっています。就職で家を出たのは、半分は自覚的に、もう半分は無自覚に、両親から距離をとったのでした。自覚的な半分は父に対して、無自覚な方は母に対して。

無自覚に自分の素直を見えなくしているものは、自覚的なもの以上に厄介です。なにせそれが本来の自分だと思っているから。社会に出てから、私はいかに自分が母のフィルターで物事を捉えているかを知りました。

さらに、親だけじゃなくて、こうあるべきという社会規範や公教育で培われた価値観も、自分の素直な気持ちを隠してしまう。知らない間に幾重にも自分を覆ってた薄い膜。厄介だけど、一枚はがれるごとに世界の見方が変わっていくのはいつも新鮮で、喜びがある。

どうやって素直を取り戻すか

就職してすぐに大きな壁にぶつかって、悩みに悩んでいたとき、目隠しを外すきっかけになったのは学びの場でした。新しい知識をインプットすること、そして、そこで出会った仲間と話すことで、自分の素直な気持ちと向き合うことができた。以来、行き詰ったときはそのときにピンときた学びの場に飛び込むことにしています。知らない場所に飛び込むのはここちいいことではないけど、適度な距離間のある他人との対話から気づくことは多い。

この感覚は、インスタライブでさくちゃんの友達がドリンクバーで遭遇した出来事の感覚に近い。全部のドリンクを少しずつ取ってきて、グラスをずらりと並べた人がいて、それを見たお友達は「ずるい」と思ったそうな。でもそう思った後で、ありだよねってことに気づいた。

学びの場でも「それありなんだ!」って気づくこと、よくあります。「こんなこと望んでいけないのでは」と思ってしまうことを、普通にやっている人がいたりとか。

そんなことを考えていたら、以前over the sunでも似たような話があったことを思い出しました。その後の考察も含めてとても参考になるのがこちらの記事。

「欲してもいい」と気づいた後に、実際に行動するまでには、いくつもハードルが現れるんだけど、少しずつでも何かを変えていくことで、景色が変わることを実感できると、めんどくさくてもがんばれたり、だんだん自信を持てたりする。そういう試行錯誤は結構楽しいんだよな、と再認識したりしました。

個人的には、最近取り組んでいることは、小学生の頃に担任に粉々にされた素直な思いを取り戻す作業なのかも、と思ったりしていたタイミングで今回のインスタライブを聞き、改めて「負けへんで」という気持ちになりました。となりの雑談とover the sun。陰と陽。いい感じで混じり合っています。


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