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「華やかで自由」孤独の行き止まり

三十六歳の誕生日、三つ年上の飲み友だちである綾子さんと二人で食事をした。綾子さんと私は誕生日が同じ。ある日、そのことが会話のついでにわかり、それなら半年後のその日には一緒にどこか行こうよ、彼氏できてなかったら。と口約束をしたのだった。

できなかったね。電車のつり革を握ったまま綾子さんがこちらに顔を向けてくる。チッチ、その赤いワンピース可愛いね。こげ茶のエンジニアも似合うよ。誕生日ですからね、いつも履かないスカートもいいかなと。ほんと、彼氏、できなかったですね。彼女の言葉を繰り返したら自分の心に刺さった。

今日行くお店はね、牛肉をタワー状に高く盛り付けて出す鍋で有名なの、ネットで見つけたんだけど。スマホを取り出して画面を見せてくれる。二軒目はこの、パンケーキの店に行ってみようよ。それから電車で帰って。時間があったらいつものバーに行かない?綾子さんは次々に提案する。

そうですね、と生返事をしているうちに駅に到着した。彼氏できなかったね。ほんとね、彼氏できなかった。愛する人も愛してくれる人もない誕生日。前の年もそうだったな。車窓から見える景色は少しずつ地元を離れていく。市境のあたりにある長いトンネルに入ると、電車の速度が上がったように感じ、重いエンジニアブーツを履いた足元がふらつく。強くつり革を握り直し、ひとつ大きく息をした。

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牛肉タワーは見事だったし、お腹いっぱいと言いながら食べた二軒目の店のパンケーキも生クリームたっぷりでおいしかった。綾子さんはコーヒーをすすりながらSNSに投稿したものへの反響をチェックし、夢中でコメントを返している。チッチ、由美子さんが二人とも誕生日おめでとうって言ってる。ああそうですか、じゃあ私もあとで見てコメントしときます。

電車に乗って地元に戻ったあと、三軒目の誘いを断って帰宅した。

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鍋を食べて、パンケーキを食べて、楽しく飲んで帰ってきた。それなのになぜ、こんなにからっぽな気持ちに沈み込んでいくのだろう。独身実家住み会社員彼氏なしで迎えた三十六歳の誕生日の終わりは、ただただむなしくて泣きそうだった。

華やかで自由と言われる独身生活に行き詰まりと行き止まりを感じている。華やかで自由なはずの独身道には「ここまでは楽しい」行き止まりの標識があった。その先に続く道は少し細くなり、よく見ると「ここからは楽しくないけど続けるしかない」と立て札があった。今はそこを、なんとかしのぎながら歩いている。「出会い」だけが自分を救ってくれるはずだけれど、それはいつどこで何をすれば手に入るのか、見当もつかなかった。

楽しいうちに卒業して人生の新しいステージに移れた人にはわからない、「楽しくなくなってからの独身の道」ってあるのだ。そんなことできるのは今のうちだよ、と言われる度に、いつまでもこのままだったらどうしようと脅えているとは打ち明けられなくて笑ってごまかす。そうなんですよー。 だから思いきり楽しんでるんです、独身時代を。

私はひとりで、どこまで歩けばいいのだろう。綾子さんのような飲み友達とのひとときは楽しい。でも、じゃあねと互いに踵を返したその瞬間にはもう、ひとりぼっちの自分を突き付けられる。私には何もない、と思うのはこんな時。両親がいて仕事があって実家で暮らすことは何もないからしていることなのだ、と自分の内側から聞こえてくる声が辛い。

同級生たちはとっくに結婚し、彼らの考える「家族」は自分の力で作った新しいもの。私の考えるそれはだんだん古びていくだけのもの。生まれたときの姓のまま世帯主は父のまま。書き込む欄の少なさと変わらない姓の印鑑を押すたびに何もない自分を突き付けられる年末調整は屈辱的になってきた。

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出会いがあるとかないとか、どこにあるのとか、頭が痛くなるほど同じことを考え続けている。「普通の人でいい」という謙虚なセリフ、自分しか言わないと思っていたのに「それ、皆言うよね」と知人に指摘されとても恥ずかしかった。せめて「私って若く見られるんです」とは言わないでおこうと決めた。

明日も、私には新しい出会いなんてないのだろうなとあきらめつつ、それでも心のどこかで何かを期待して、明日の夜眠りにつくころには思いがけず恋を拾って帰ってきた自分でいたい、なんてすがるような気持ちになる。

シャワーを浴びて自室に引き取り、台所から失敬してきた缶ビールを開ける。

綾子さんが投稿したバースデーディナーの様子には、思っていたよりたくさんのいいね!がついていて、タグ付けされている私に対してもおめでとう、とかその服似合うよ、とかコメントがある。ひとつひとつ目を通していいねを返し、返信していく。

チッチもいい人見つけなよ~という年上男性からのコメントが一瞬心にささくれを作ったけれど、「独身時代を思いきり楽しんでまあす」と書き、そのあとにハートマークを三つつけた。

面倒くさいからタグ付けなんかしないでよ、と綾子さんに八つ当たりするような気持ちがわいてくる。また明日、ひとりで目覚めひとりの日曜日がやってくる。夕方ごろ飲み友達から連絡があり、ひまなら出ておいでと誘われる。楽しいひとときを過ごしたあと、また一人になり自分の孤独に我に返る。

いつまでこんな夜が続くのと、缶ビールを飲み干すと電源を切ってベッドに横になった。



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