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私の“前提条件“に気づいた話

こんにちは、トミモリです。
今日は、「私のやりたいことの前提とは?」というお話です。

あなたは、今やりたいことができていますか?
「自分のことばかり、できるわけないよ!」
と思っている人も多いのではないでしょうか。

例えば仕事はお休みでも、
そのお休みに仕事以外に
しなければならないことが沢山あれば、
自分の好きなことをする時間までは確保しにくい、
ということも結構ありますよね。


先日、
「お休みの日には何をしたい?」
というテーマで考えてみることがありました。

よかったらあなたも、今少し考えてみてください。
なかなか自分一人で自由に使える時間が持てない中、
急に自分一人のお休みで、何をしてもいいよ!
と言われたとしたら、
あなたは何がしたいですか?


私がその時考えて出てきたことは、
簡単なものから
ちょっと時間やお金がかかるものまで、
いろいろあったのですが、

そのやりたいことの前提として、
「何も心配することなく、それをやりたい」
と、気づいたんです。

心配、
というとちょっと大袈裟かもしれませんが、

ゆっくりとした自分の時間を過ごす奥底で、
「こんなことをしている場合ではないのではないか」
「この時間があったら、他にできることがあるんじゃないか」
そんなことを考えそうだな……
と思ったんです。


それは、私が単純に心配性なこともありますし、

普段の日常で次々と
「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」
と考える割に
ちっともタスクがこなせていないせいもありますし、

むしろ
「やらなきゃ」じゃなくて
「面白そう!」
でやることを勝手に増やして
結果的に身動き取れなくなっている
ということも結構あるのですが、

なんというか、自分が楽しむ前提として
・安心感
・安定感
という土台を感じた上での自由とか、
穏やかさが感じられるといいのにな、
と思ったんですね。

自由と安定は、矛盾するのかもしれません。
安定して安全な場所から出るのが自由、とも捉えられます。

ただ、無鉄砲な自由さには不安を感じる私としては、
何かを楽しむ前提として、
安心感・安定感を整えた上での、
程よい自由さと穏やかさがあって、

それを感じていないとどんなことでも
本心から
「あー、楽しいな」
を感じにくいのかな、ということに気づいたのでした。


そして、それは私は心のどこかで
「こんなことをしている場合ではない」
と、自分にのんびりする許可を出せていないというか。

自分に厳しいというか。
真面目だというのか。
休むのが下手だというのか。
思い込みが激しいというのか。

いろんな捉え方ができますが、
もう少し、肩の力を抜いて過ごしたいな、
と改めて感じたのでした。


人によって、
「どんな感情を感じたいのか」
は違います。

私のように、
「ストレス少なく、ゆるっと穏やかに、
日向ぼっこ的な時間を
1日のどこかで少しでも持てるようになりたいな」
という望みがある人もいれば、

「そんな退屈な日々は嫌だ、
社会的に成功しなければ満足できない」
という人もいます。

「常に何か動いていないと、心配になるから
つい次々予定を入れてしまう。
でも、予定があることで安心できる」
という人もいます。


何がいいとか、どれが正しいとか、
そういう話ではなくて、
その人それぞれに目指している
「理想の私の姿」
というものが違うという話なんですね。


全体として、
「そんなのは間違っている!」
と声高に相手を責めるのではなくて、

「みんなそれぞれ、違っていいよね」
が認め合えるような、
雰囲気になれば良いな、と思うのでした。



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