「卒業おめでとう」 あの日から10年、これからの10年。
3月11日、サンテンイチイチと憶えている。
今日は娘が通う中学校の卒業式で、PTA会長として来賓出席した。コロナウイルスの影響もあり、時間短縮のため祝辞はなくなった。2年連続になる。
娘は2年生なのだが、残念なことに在校生の出席は叶わず休校となり、卒業生と先生と保護者と限られた来賓者のみで粛々と行われた。
前年度の経験からコロナ対策ガイドラインは国から定められているので、あらゆる“歌”の“斉唱”や“合唱”が“演奏”に変わり、録音された音だけが体育館で寂しげに鳴り響いた。
心なしか、卒業証書を受け取るときの生徒の声が低いのは、飛沫を飛ばさないための“新しい様式”なのかと、少しだけやるせない感情が込み上げてきた。
春はそこまでやって来ているのに、あともう少しのところで手が届かないようなもどかしさを感じた。卒業という晴々しい気持ちとは裏腹に、どう声をかけて良いのか言葉を見失っていた。
中学生の思い出で欠かすことのできない修学旅行も行けなかった卒業生。恋愛の話やなんでもないバカ話を語り合うのが青春ならば、時を戻してやりたいとさえ思った。
それでも子どもたちは終始笑顔で式に臨んでいるように見えた。まるで三年間を振り返りもせず成長するかのように卒業生の背中は凛としてたくましく見えた。
僕の心配をよそに、立派に大人の階段を一歩づつ、いや、二段三段外して駆け上がっていく。そのスピードに少し置いていかれそうになった。送る側の人間が、卒業する生徒たちに背中を押されたような気がした。
校長先生の式辞では、東日本大震災による話が取り入れられたのは言うまでもない。東北地方でも県によって温度差はある。災害をそんなに受けなかった青森県の盆地では感覚に微妙なズレも感じるのだ。二日程度の停電や物資の不便さは感じたものの、被災された方々の気持ちは到底わからないのが普通だ。いや、わかったふりはしたくない。
津波に飲み込まれる町を、ただ呆然と見ることしかできなかった。信じられない映像に言葉を失った記憶だけは脳裏に焼き付いている。辛い気持ちで張り裂けそうになった。
ここ最近、テレビ番組や報道番組で取り上げられる、「あの日から10年」を見ながら思う。風化させてはいけない実情と、語り部たちの痛切な願いは苦しいほど伝わる。これまでの復興と昨年から続くコロナを被災者はどう感じているのだろうか。日常は取り戻せているのだろうか。
近年、答えのない難題が次々と起こる世の中で、「生き方」を立ち止まって考えることがある。東日本大震災で失われた人を忘れてはいけない。町を復興させるために歩みを止めてはいけない。生きている僕たち一人ひとりが「幸せな生き方」の答えを探し続けなければいけない。
そんなことを思いながら式は進んだ。卒業生退場のとき担任の先生へ「ありがとう」のメッセージをサプライズで贈る伝統芸も格好よく決まり、人数が少ない拍手も最後は大きな渦を巻いて会場は暖かい祝福ムードに包まれた。
今年度の生徒会テーマが「rainbow」だった。きっと虹のように、たくさんの個性と、たくさんの物語を創ったに違いない。
みんなが学んだ三年間は、人との関わりのなかで尊重し合い、助け合い、愛にあふれたものだったことだろう。進む道は違えど、それぞれに思い描いた幸せを歩んでほしいと思う。
きっと、「これからの10年」は今以上のスピードで世の中が変化するだろう。でも大丈夫、君たちはこの学校で自信と誇りを身につけたから。誰も経験しなかった難題に答えを出そうと立ち向かったから。これからも夢と希望を持って成長し続けてほしい。
新たな虹を探して……。
卒業おめでとう。
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