見出し画像

あんなに辛かったはずなのに

2016年10月から2018年10月までの2年間、私は青年海外協力隊としてスリランカで暮らした。赴任した当初はとても新鮮で刺激的な毎日だったが、日を追うごとにその生活にも慣れ、徐々に日常となっていった。

スリランカでの2年間のことを一言で表すと、“楽しかった”という言葉に尽きる。周囲の人たちはとても優しかったし、辛いものも好きなので毎日3食カレーを食べることも大歓迎だった。

画像1

スリランカでの日常(住んでいた街の一番栄えているところ)と、

バワ関連_190703_0059

スリランカでの非日常(ジェフリーバワの別荘ルヌガンガ)

----------------------------------------------

先日ふと、2年間日記を書いていたことを思い出した。実家の本棚から日記を引っ張り出し、懐かしい思いを抱えつつパラパラとめくって見てみる。と、その内容に私は衝撃を受けた。
そこに書いてあったのは、「今日も同僚が職場に来ず、巡回に行けなかった」「言いたいことが伝わらず、すごく悔しい思いをした」「外を歩いていると指をさして笑われ、悲しい気分になった」というような、マイナスの感情に押しつぶされそうになっている日常の一コマばかりだったのだ。
もちろん「巡回先のお母さんにシンハラ語を褒めてもらった」「タイミング良く家の近くまで来るバスに乗れた(車庫に入るバスにたまたま乗せてもらえた)」というような比較的良い日もあったのだが、730日を良い日、悪い日に分けていったら圧倒的に悪い日が多いだろう、という印象だった。

昔からそうなのだが、私の場合、辛かったことは長期的には記憶に残りにくい。どんなことに関しても、たいていのことは後々考えると“楽しかった”という感想になってしまう。
それが故に、“あの時あれだけ嫌だったのに、気付いたらもう一度同じ状況に立っている”なんていうことも少なくない。

ただ短期的には圧倒的に、辛かったこと、悲しかったこと、嫌だったことの方を記憶しているようだ。その証拠に日記に書いてあったのはそういうマイナスの感情ばかりだった。

-------------------------------------------

この記憶の転換はいつの時点で起きるのだろうか。たしか帰国直後は現地の人に感謝こそしていたものの、次に海外旅行に行くならスリランカではない別の国が良いなと思っていた。
しかし帰国から1年が経った昨年の9月、私が夏休みの旅行先に選んだのはスリランカだった。(もちろん旅行先を決めたのは自分の意思だけでなく、別の要因もあったのだが)不思議なものである。

帰国してからもう少しで2年が経過しようとしている。月日の流れは早い。

スリランカで過ごした2年間はとても楽しかった。そして次の旅行もまた、スリランカに行きたいと思っている。

画像3

8月の満月に合わせて行われる”ペラヘラ”というお祭り。とても美しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?