変わらない毎日から変化が生まれる
私が大切にしている日々の習慣は、何を隠そう(いや、隠してもいないが)手帳を書くよりほかない。
毎日、日々を手帳と共に振り返り、数日、数ヶ月、数年単位で振り返ることができる手帳。
自分の毎日を書き積み上げていくことほど大切なことはないと、自信を持って言える。
しかし、今回は少し趣向を変えて、手帳以外で日々大切にしている習慣をご紹介したい。
いってらっしゃいの魔法をかける
とてもシンプルで当たり前のことだが、私は挨拶を大切にしている。
朝起きたらおはようを、寝るときにはおやすみなさいを。
夫にも子ども達にも、きちんと伝えることを重要視している。
中でも「いってらっしゃい」は一番大切にしていて、誰が出かけるときも可能な限り玄関まで見送り、いってらっしゃい気をつけて、と伝えている。
悲観的な考えで生きているわけではないが、この瞬間が人生の最後だったらどうしようと時折思う。
もしこれが今生の別れの瞬間だとして、その日たまたま見送れずにいたなんてことがあれば、後悔してもしきれないくらい辛い人生を送ってしまうことになるのではと思ってしまう。
なにより言霊の重要性を重んじていて、気をつけてね、と送り出すことで私の言葉がバリアになってくれるのではないかと密かに考えている。
もちろん同じ事を聞かされている方は「また言っている」くらいにしか思っていないかもしれない。
でも家族からも「気をつけていってくるね」と返ってくるので、きっと私の言葉は届いているんじゃないかなとも感じている。
また、毎日祈るように「気をつけて、いってらっしゃい」と言えることが、私には幸せでたまらない。
これまで公務員として勤務していた時には一番最初に家を出発していたので、ろくに家族を見送ることもできなかった。
公務員を退職し、家族の出発を毎日見送ることができるようになり、これが私のしたかったことだと強く感じている。
だからこそ、毎日の小さな一コマ、何気ない「見送る」というミッションをとても大切にしている。
化粧でスイッチを入れる
高校を卒業し、専門学校へ入学するときになって母親から「化粧をしなさい」と言われてビックリした記憶がある。
それまで一言も何も言われず、また化粧に対して興味の薄かった私は化粧をして出かける概念がほとんどなかった。
高校時分にお世話になった先が某ホテルの中にある和食レストランだったため、バイト中にのみ化粧をすることはあったが、自分の興味は薄いまま。
しかし母親から「社会人になったら、化粧をすることが女性の身だしなみ」とこんこんと言われ、そうなのかと衝撃を受けた。
母がそこまで言うのならと、出かけるときには化粧をする習慣がそこからできた。
お陰様で、コンビニすらすっぴんで出ることはない。
さらに私個人のポリシーとして、ジャージで出かけることもしない。
家でもジャージ姿で過ごすことはなく、きちんと着替えていつでも外出できる状態にしている。
打って変わって夫はジャージで出かけるので私はドン引きしているが、やめて欲しいと伝えても意見が一致しないのでそこは密かに残念に思っている。
話は横道にそれたが、そんなわけで私は毎日化粧をしている。
在宅ワークで、誰に会うこともなく、オンライン上でも人と顔を合わせることがない。
それでも毎日化粧をしている。
家族にしか見られることがない日も多いが、それでも必要な事なのだ。
先日、平日に振替休日だった息子から「今日出かけるの?」と聞かれた。
平日に母はどこにも出かけないと思っているので、なぜか化粧をしている私を見て出かけると思ったようだ。
しかし別に出かける用事はない。
「いつ何があっても、すぐに動ける準備をしているだけ」
そう言うと驚かれた。
化粧をする理由の1つは、備えあれば憂いなしであるが、もう一つは気持ちの切替え作業でもある。
家に居て、化粧をしなくても、服を着替えなくても別に仕事はできる。
しかし、そのままでも問題ないからこそ、切り替えが重要ではないかと感じている。
毎日同じ時間に同じ家事をこなし、始業を概ね朝9時に設定している。
その9時までに化粧を終えて着替えをする。
そうすることで、会社に勤めるかのように意識が変えられるスイッチになるのではと考えている。
区切りがないからこそ、自分で区切りを付けなければいけない。
化粧は私のスイッチである。
趣味の時間を確保する
私が時間管理を大事にしようと思った一番の理由は編み物がしたい! という思いが強かったところに端を発している。
何もせずに過ごしていると、本当に自分がしたかった時間さえ失うことに気がついた。
毎日の中で、少しだけでも自分だけの贅沢時間を取ること。
これが、自分や周囲に対して不満を持たない秘訣だと思っている。
自分の時間を確保できていると、周囲に対して不満を持ちにくくなる。
例えば帰宅した夫がダラダラゴロゴロしているとき(笑)
なんで私ばっかり……なんて気持ちを持ってしまう主婦は大勢居ると思う。
しかし、自分の時間をきちんと確保して、趣味の時間を満喫できていればそこまで大きな不満になることはない。
自分の欲求を我慢してまで、家のことや他人のことに時間を割き続けるから不満だけが積もってしまう。
忙しい主婦だからこそ、私は先延ばしも時には許されると思っている。
忙しいから今やっておかないと……という気持ちになってしまうが、もしその要件が明日で良いのなら明日にして、ひとまず自分の趣味の時間を先にとっても良いと思っている。
もしくは、そのタスクを他人に振るのでも良い。
なんと言っても、主婦には放っておいてもどんどんと用事を足されてしまうのだから。
窓を開けるだけ、洗濯機を回すだけ、リビング空間のみ掃除機をかけるだけ、小さなことから家族に割り振っていくだけで意外にも時間は作れる。
時間が作れれば、自分の自由時間が生まれる。
自由時間はとても人を幸せにする。
だから私は、毎日編み物をする時間をとって、自分を満足させるようにしている。
1週間に一度の安息日
私は純粋な日本人だが、ユダヤ教の安息日の教えを聞いて感動し、直近半年ほど「安息日」制度を採用している。
もちろん、ユダヤの教えは制度ではない。
しかし、日本に住む、日本人の私にとっては制度化しないと実施できないほど難しいのが安息日である。
安息日は、1週間7日のうち、1日を何もせず過ごすというものである。
この1日をしっかり休むことによって、ほか6日のパフォーマンスが上がるそうだ。
インプットがないとアウトプットができないように、休みがなければ効率的に働くこともできないと言われれば仰るとおりと思った。
この「何もしない」には家事も含まれるそうで、料理もしないのだとか。
洗濯も掃除もしない。徹底して何もせず休息を楽しむ日だそう。
しかし、現実的に現在の私たちの環境でそこまでは難しいので、可能な範囲での実施をしている。
そして、安息日を実現するため、私は家族にひたすら公言している。
「ママは日曜日がお休みです」と。
平日もずっと家に居るため、家事と仕事の境目があやふやになっている。
途切れなく稼働しているような気がする日もあれば、どちらにも身に入らないような日もある。
しかし、この日曜日の休みを不動にすることで、かなり気持ちの切り替えができるようになってきた。
しっかり休むことは偉大である。
具体的に「やらない」こととして、可能であれば買い物は土曜日に済ませ、洗濯は最低限の回数のみ実施、料理は必要であればするが、もし可能であれば外食も視野に入れて回数を減らす。
最初の頃はなかなか家族に浸透しなかったものの、近頃は「日曜日のママはお休み」と伝わってきたようであまり用事を頼まれなくなった。
そして夫が代わりに洗濯と洗い物をしてくれるようになった。
私がくどくど日曜日は休みといって、後回しにし続けたので俺がやるしかないと思ってくれたらしい。
休みたいと心で思うだけでは伝わらないので、全国の主婦の皆さんもぜひ公言してもらいたい。
心の中だけで休みたいと願っても、ビックリするくらい伝わらないのが家族である(笑)
その代わりと言うほどではないが、月曜から土曜日は全力投球である。
日曜日の代わりに、他の日で片を付けておく。
時分の気持ち的にも「月曜から土曜日までしっかり頑張ったんだから休んで良いでしょう」と胸を張って? 休むことができる。
日曜日を休むために日々を全力で過ごし、趣味の時間を確保しつつ、家族を見送ったりサポートをする。
それが私の日々の大切な習慣である。
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