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そしてその身体に魂が包まれている

アヒムサー非暴力。 
暴力を振るわない、という戒めは、他人を傷つけてはいけない、という以上に、自分自身に暴力を向けていないかという問いでもある。

例えば、家がいつも散らっている自分は、片付けもできないダメな人間だ、と自分を責めること。忙しくて思うようにことが進まず、家族に八つ当たりしてしまったことへの自己嫌悪。
アヒムサは、こういったことも禁じている。

暴力とはなんだろう。意図的でなくても私たちはたくさんの暴力を振りまいている気がする。通りすがりにちょっと体がぶつかったときの小さな苛立ち。相手が困っているとわかっているのに面倒で手を貸さないとき。電車の中での、座席をめぐる小さな争い。
こんなことも、暴力といえば暴力といえるだろう。

自分自身に対するものでいえば、睡眠不足、暴飲暴食、さらに言えば姿勢の悪さなんかも、自分の体に対する暴力だし、苦手な人と仲の良い振りをしたり、行きたくない飲み会に参加することも暴力といえば暴力だ。そしてイライラして、話しかけられても明るく答えられなかったり、別に言わなくても角は立たないけど、ありがとうの一言がでなかったりする。
そのことが、相手の気持ちにほんの少しだけくらい影を落とす。ひとつひとつは、すぐに忘れたしまうような、小さなことだ。
だが、確実に、オリのように、溜まっていく。

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「暮らしのスコレ」でヨガ哲学対談をさせていただいています。 対談で話したこと、話していないこと、「暮らしのスコレ」から得たインスピレーショ…

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