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ヨーロッパの横断歩道の渡り方と、合理主義について

「みんなで渡れば怖くない?:フランスの信号事情」というnoteの記事で、natsumiさんが、赤信号で渡る人が多いのに驚いた、という話を書かれている。わたしはこれを、20年以上前にヨーロッパに行ったとき、体験した。少なくとも当時東京では、信号無視をする人など皆無であったので、わたしも最初は、とても驚いた。

しかし人間、環境にはすぐに慣れてしまうもので、自分も同じように、信号を必ずしも守らないで車道を横断する方が、まったく普通になってしまった。そして今に至る。つまり、ヨーロッパで覚えた習慣を、そのまま日本にも持って行ってしまったのである。その方が合理的だった、ということだ。

イギリスの横断歩道は、横断歩道っぽい模様が書いてあることもあるが、なにも書いていないことも多い。いや、なにもではない。歩道よりの車道に、LOOK RIGHT(右を見ろ)、LOOK LEFT(左を見ろ)、などと書いてあるのである(写真)。これはどういうことか。つまり、ちゃんと自分で左右確認しなさいよ、ということなのだ。

以来わたしは、いつもそうしている。車が来ていないことを、結構慎重に、左右を見て確認する。そして来ていなければ、信号が赤でも、注意しながら渡る。

帰国して4年後に、関西に引っ越した。関西人も信号を守らない、ということをやる人が多いので、この点では違和感がない。ロンドンのハムステッドに住んでいた友だちは、もともと関西で、ロンドンは東京じゃなくて関西なのよ、とうっとりと言っていたが、こういうことなのか、と思った。

今はロンドンはよりモダンになっているし、本当にロンドンが関西っぽいかというと、自分ではあまりそういう実感もない。ロンドンは東京とパリの中間、という感じではある。関西人は合理的なのかということも、よくわからない。

これはフランスでのことだと思うが、歩行者も車も赤の時間が、わりと多い。どうせ歩行者は赤でも歩くので、両者に猶予をもうけている、ということなのだろうか。もっとも目の前に車が並んでいて、信号が赤の場合、わたしは渡らずに、車と一緒に待つ。小さな通りだと、小走りに渡ってしまうこともあるが。

車道の横断も自己責任、というのと似たような道理で、バスもただ待っているだけでは、決して乗せてくれない。バスが来たら、手を振って、乗りますから、と必死に合図をしないと、行ってしまうのである。

あくまでも自分で確認して自分の責任で渡る、そのための便宜として、信号もある、というような感じだ。守らなくていい、ということではない。守るべき時は守り、しかしそれが明らかに合理的でない場合は、合理的な方を優先する。

この原理は、信号に限ったことではないと思う。組織での会議のあり方や、ペーパーワークのあり方などにも、同じ原理は反映されているだろう。ミーイズム(わがまま)ということに還元されないものとしての、個人主義の原理。

日本だったら、みんなで渡れば、なのかもしれないが、ヨーロッパの原理は、そういうこととはまた、違うような気がする。

Photo: Andrew Martin@Pixabay


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