島田順子さんの、ヌーヴェルヴァーグなライフスタイル
パリを起点に、79歳にして、いまもスタイリッシュな服を精力的にデザインしつづけられている、島田順子さん。彼女にお会いする機会が近づいてきたので、『おしゃれライフスタイル』という本を読む。なんと彼女がパリに来たのは、ヌーヴェルヴァーグの映画が好きだったからだ、という。
ヌーヴェルヴァーグの映画人、ゴダールは1930年生まれ、トリュフォーは1932年生まれ。映画の世界を震撼させたヌーヴェルヴァーグの伝説的作品である、トリュフォーの最初の長編『大人は判ってくれない』(Les Quatre cents coups)は1959年、ゴダールの最初の長編『勝手にしやがれ』(A bout de souffle)は、1960年に世に出た。
1940年生まれの島田順子さんは、かれらより10歳ほど年下。ちなみに、トリュフォーの作品や著書を日本にひろめた、映画評論家の山田宏一さんは、1938年生まれ。その山田さんとほぼ同世代、ということになる。
1940年生まれといえばまぎれもない、ロックや新しいファッションに熱狂する若者の文化が弾けた1960年代に、20代であった世代。1960年世代である。この世代が円熟した40代として大活躍するのが1980年代、つまりやはり元気すぎる、バブルの時代。
順子さんはその1981年に、パリコレクションにデビューした。メンズシャツのデザインにヒントを得て作られた女性服は、当時の会社の役員には大反対されたが、伊勢丹が買い付けて、日本でも大流行。49Av. Junko Shimadaである。
順子さんがパリに住み始めたときは、みんなが映画の主人公のように自由に生きていて、素敵だな、と思ったそうだ。そういう彼女自身が、「映画の主人公のように自由に生きている」、というか、そうでなければ生きていけないようなエネルギーをもっていることは、いうまでもない。
順子さんのお父さんは、べっ甲のサングラスをして、ヨットを操ったり、車やバイクを乗り回していた、粋でおしゃれなひとだった。結婚せずに子供を産んで、その彼と1年後に別れた順子さんに、「これからいい女になれよ」、と言ったとか。
パリでデザイナーになることを応援してくれたお父さんのかっこよさが、この一言に現れている。
順子さんは、大失恋をして5年間泣きつづけていたとき、友人に連れられて行った誕生パーティーで知り合った男性と、47歳のとき初めて結婚したというのも、すてきである。順子さんはパリ、旦那さんは東京の、別居婚。旦那さんは亡くなったが、最初に会ったときに撮ってもらったポラロイド写真を、彼女は宝物にしている。いくつになっても本当に、人生はまだまだだ。
美術学校へ行こうと思っていた順子さんに、自立するためにデザイナーになることをすすめたのは、お母さんだった。子供に収入のある安定した生活を望むのは、どんな親でも同じだろうが、この時代に自立したデザイナーになりなさい、と娘にいう母親というのも、やはりかっこいい。順子さんにとってその言葉は、究極の天職につながったわけだから。
40年近く、彼女はパリで毎シーズン、作品を発表しつづけている。そして一度もコレクションに満足したことはないという。「憧れてパリに来たから、ここで学びたいという素直な気持ちを持ち続けています。自分ももっと良いものを作れると、信じているのよ」。
トリュフォーは52歳の若さで亡くなってしまったが、ゴダールはまだ新作を発表している。79歳より80歳の方がより良いものを作る、という信念。いや、人生こうでなくては。
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