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何者であるか、何者になるか。

夫と一緒に実家に帰った。話に花が咲き、あっという間に過ぎた3時間。車で1時間ほどの距離なのでいつでも帰れるのだが、今日は特別。

私の実家は丘陵を切り開いた住宅街にある。都心への通勤・通学も、山や川へのアクセスもそこそこ良いベッドタウンだ。近くの国道沿いには工場団地や巨大なモールがあり、更に奥へ行くと畑が広がる。遠くには山々がどっしりと構えていて、母校の校歌には山と川が登場する典型的な郊外。離れてみることで生まれ育った場所の良さがよく見えてくるもので、昨日は不思議と彩度高く、強い存在に感じられ、誇りに思えた。

私は夫とふたり暮らし。徒歩圏内に駅やスーパーなどが揃っているので車を持つ必要はないが、夫の趣味で車を持っている。この車と夫の運転のおかげで、行動範囲が広がり、景色の見え方すらも変わってきたように思う。今日は車でじわじわと育った町へ近づいていったので、原風景へ感情を移行させていくのがより自然な形だったのかもしれない。住んでいた頃には見えなかった美しさや強さを、この町から感じた。

実家に着く頃には、首を長くして待つ父が玄関先でうろうろしていた。いつも私たちに会えるのを楽しみにしてくれているようで、こういう時はいつも玄関先で待ってくれている。

私の家族はみんなおしゃべりなので、近況報告が止まらない。最近100均のセリアで買ったウィリアム・モリスとコラボした素敵アイテムを母と見せ合って交換したり、実家で成ったゴーヤで作ったジュースを飲ませてもらったり、ギターを弾いたり歌ったり…。滞在したのはたったの3時間だが、心ほぐれるゆるやかな時間だった。

庭の奥に停まる父のオートバイも、どんどん出てくる母お手製のたくさんの料理も、久々に出した妹のウクレレも、全部私を作った欠片。私を形づくる礎がここにあると思うと嬉しくなったし、これがあるなら私は何者にでもなれると、心強い後ろ盾を得た気分だった。

久々に顔出すか〜。くらいの気持ちだったのに、思いがけず原風景に出会ってしまった。いつも未来の自分だけを考え、理想のみに焦点を当て、そこに近づく方法を練ってばかりいたけれど、過去に築いてきたものや既に手にあるものを、よく目を凝らして見てみると良いのだと学んだ。既に私は何者かだし、既に何かを持っているし、それを如何様にも使えるし、更になりたい何かにもなれる。

ちょっとした帰省だったのに、嬉しい気持ちをずっとかみ締めている。素敵な1日だった。

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