<ものおもい日記*0411>わたしはバグっている。
私は人とズレている、歪んでいることが多いと常に思っている。
先日、研修で「感情が動くから出来事が記憶される」と学んだ。
ふと思うことがある。
死を考えた人間はそれを超えた幸せを感じない限りは、ポジティブな感情を抱くことは意識しないと難しいのではないかと。
振り切った感情は、反対側へまた振り戻るが、ある種の躁状態であって、また死を考える。
壊れてしまっているのではないかと。
生死を近づけて生きるのを辞めたいと言ったものの出来ないのは、
死ぬことを諦めてから今日生きているまで、誰かに価値を提供しなければ生きる価値がないと何度も鼓舞して生きていたからだ。
もう8年。8年も人知れず続けてきたんだ。そりゃ自分勝手に生きることを認められないんだ。
そんなことばかり考えてると、日常生活でどう生きてるかなんて些細なことで、何も考えられなくなってしまう。
世に生きているみんなはすごいと思う。
生死ではなく、今ある日常に目を向けて、社会で暮らしているんだから。
生にも死にも怯えることなく、そつなく距離をおけるのだから。
また、こうやって自分と他者の違いを見つけては自分ばかりがダメな人間だとバツ印をつけていく。
ずっと生死によって揺れ動かされてる、生かされてる自分が嫌いだ。
死という絶望に振り切り、感情が壊れた私は、ネガティブにしか自分を見つめることが出来ない。一時の躁状態であっても救いにはならない。
他者から見たら、私って幸せに見えるんだけどな。
何も知らない人ならきっと順風満帆だと思われてるんだろうな。
なのに幸せだと楽しいと思えない私って何?
自己判断の世界なはずなのに、自分で自分のことがわからないから、他者に委ねる。
そのくせ他者は何も分かってないと思ってしまう。私の悪いくせ。
こうやってぐるぐるとしてしまう。プラスへと振ってくれない。
幸せをたくさんくれているはずなのに、
なんにも苦労してないはずなのに、
楽しいって思えてるはずなのに、
プラスの感情へ揺れ動かなくてごめんね。
私が感じるプラスの感情は安心感だけみたい。あったかい気持ちだけが本物。なんとも乏しい人間性だ。
ここまで来ると、私という人間は何者なんだろうか、モンスターなんだろうか。バグってる。
バグの感情の中で、幸せを見つけるのも、プラスの感情へ揺れるのも、難しい。
全部マイナスな過去に負けて消えてしまう。
死は強烈である。人格を終わらせる行為だから。バグるのも当然だ。
どうやって、死から乗り越えて、バグ修正をかけるのか。
未だに分からない。だから私はバグってるし、死を食い止めるアプローチはできない。
どうやったら、バグ修正できるんですか。
どうやったら、幸せを感じられるんですか。
乏しい人間性であっても、平和に幸せになれるもんなのでしょうか。
私は全然答えを見つけることが出来ないでいる。
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