《ものおもい日記》0405*ラッキーガールと常日頃思う
ブログをはじめて、何か世間に発信することをはじめてから、かれこれ6年近く経つ。
10代という果敢な時期に感じて考えたことや、自分の意思や価値観を確立していく過程を残しておけたことは、
実はとてもラッキーだったのではないかと思う。
何気ない日常や、今ではどうってことないことも一つひとつ勇気を出して踏み出したこと。
私にとって、守りたくなるくらい大切な居場所や人がたくさんできたこと。
私の努力だけでは掴み取れなかったこと。
つまり私はラッキーの連続の中、生かされているのだと改めて感じるのだ。
何だかんだ、常日頃から「私はラッキーだ」と言っている。
言い聞かせているのではなく、本当にラッキーなだけなのだ。
たまたま知った学部に進路変更をした結果、これがやりたい!を見つけることができた。
たまたま「行ってみよう」と思ったイベントで、生涯大切にしたい家族のような仲間に出逢えた。
いつものようにツラツラと綴ったブログから、私を応援してくれる人と出会って、大きなチャンスを何度ももらった。
たまたまお声掛けしてもらった方とご縁があった。
そんなたまたまや偶然が重なった結果、今の私があって、生かされ続けている。
こればかりは、神様ありがとう〜!と言うしかない。(しかし無宗教である。)
多くの人は
「ちはるの実力だよ」「ちはるの人柄だよ」
と言ってくれる。
とても嬉しい。
でも今も昔も思うのは、実力や人柄を見てもらえなかったり、正当に評価してくれなかったりする場もある中で、
実力や人柄を見てもらえるだけでラッキーだと感じるのだ。
人生、努力をすれば報われるなんて、生易しいゲームじゃない。努力を見せつける場にありつけられない時もある。
じゃあ、努力しても無駄じゃん?って思うけど、それも違う気がする。
いつ目の前にチャンスや努力を見せる場が訪れるかなんて、分からない。
だからいつでも来ていいように、常に努力をするんだと思う。
とは言いながら、私はぐぅたらしてるので非常に申し訳ない。明日から本気出す。
それでも私は恵まれてるんだから、やっぱりラッキーだと思う。運が良い。
周りから言われる要因で考えると、人柄になると思うのだけど、お世辞にも私は性格が良いとは言えない気がする。
だって頑固だし、意地っ張りだし、それに極端に幼い。
ただ、運が良いと実感した頃と以前を比べて、明らかに違うことがある。
それが「自分に正直であるか否か」「自分で決めたことをやっているか」だと思う。
ブログを始めるまで「私がやりたくてやったこと」は全然なかったと記憶している。
英会話や学習塾、和太鼓。
それなりに習い事をさせてもらったり、あちこち連れて行ってもらったりしてもらったけど、
何か自分が主体的にやったことは無かったし、「私はこれをやりたい!」「これが欲しい!」と思うことが多くなかった。
常に誰か周りのことを考えたり、怯えたりして、自分事が消え去ってしまっていた。
私はこのことを、
空っぽになった、と表現している。
そしてずっと心の底にある
無個性コンプレックスと表現した。
私として生きることにおいて、
私が自分の生きるを決められないことは、ダメなことだった。
とにかく「私がやりたいこと」に必死だった。
やりたい!なんか惹かれる!そんな心が動く方へ、突き動かされて進んだところには、いつもラッキーがあった。
(逆に何か嫌な予感がするな、行きたくないなって時は、あまり収穫はなかったりもした。)
そして、ラッキーは積み重なる。
惹かれて進んだ先で出会った人が、更なるラッキーを持っていたり、
惹かれて取り組んだことをきっかけに、チャンスが舞い込んだりした。
私は、更なるラッキーもチャンスも、心が動けば取りに行った。
そうやって自分の心に正直に動いて、幸せだなぁ、やって良かったなぁと思える日々こそ、
私の人生を自分で決める意義なんだなぁと思ったりもした。
それに自分が決めて進んだことなら、意地でも良かったと思えるようにしたい。
誰かに言われてやったこと、受動的に取り組んだことは、人のせいにできてしまう。
でも主体的に自分で決めて取り組んだことに責任を持つのは自分だけ。
そんな人生や生きることへの執着も、ラッキーガールになれた要因なのかもしれない。
私はブログを始めてから、綺麗事量産botかのように、日々物思いにふけり、綺麗事を綺麗にツラツラと紡いできた。
「そんなこと思ったり、書けたりするのは、あなたが恵まれているからだよ」
なんて言われることも増えた時期もあった。
確かに恵まれている。ラッキーである。そして幸せである。
でも私の環境やラッキーは、私が欲しいと思って、手を伸ばして、手に入れたものである。
私の幸せはラッキーは、私が掴むための努力をしてきた成果だと思いたい。
(努力と言いながら、心ときめくことに熱中しているだけだが。)
そんなラッキーガール、心に決めてることがある。
ラッキーをラッキーだった、だけで終わらせないということ。
運が良くても、その先ラッキーだけで進めないこともある。だから自分の努力も忘れない。ゆるく頑張って、実力でも認めてもらう。
それにラッキーは自分だけの何かで掴めたものではなく、周りの人や神様仏様が私に運んでくれたものだと思っているからこそ、
その人たちが「協力して良かった」と思えるような結果や学びを得なくてはいけない。
ラッキーガールだからこそ、作法というか、マイルールがある。
私は今日もラッキーだ。
ゆるゆる幸せに生きていくので、きっとこれからもラッキーに違いないと信じて生きていたい。
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