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《ものおもい日記》0714*仕事をしている何も無い私が好き

定期的に「何も無い私になりたい」と願う時がある。1年に2回くらい。

どう足掻いたって、私は私でしかないし、私として生きることを選択しているのに「なんだそりゃ」って思うんだけど。

肩書きを持たない私を好きでいてくれたり、評価してくれる人はどれだけいるのだろう、といつも脅えている。

N高生でなかったら、話すことのなかった人。
不登校経験者でなかったら、出会うことのなかった人。
ヒカリテラスの代表でなかったら……。

何もかも肩書きから見られる世の中が怖い、窮屈だと感じてしまう。

ヒカリテラスのような一文にもならない活動をしているからって、優しい人間では無いし、全ての生きづらさを理解できるわけでもない。

そんないわゆるセルフブランディングを縫いつけたのも、紛れのない私なんだけども。

日々、怯えている。

先日、居場所づくりをしている友人に
「ずっと活動者の私モードから抜けなくて怖い、スイッチをオフにできないのやばい」と吐露した。

最近、卒論でも自殺予防を追っているからか、四六時中「生きづらさ」と「自殺対策」を考えるようになった。

正直、今も。

ブランディングをするということは、薄くても厚くても1枚仮面を付けることだと思っている。

普段の私はあまりに繊細でナイーブだから仮面を付けることで助かってる部分も多い。

でも、私にとって「活動者の私モード」オンのままでは苦しい。

真っ裸の何も無い私で居られない時間が増えすぎた。

ここまで来ると、全部全部脱ぎ捨てて、大の字で寝っ転がって、「あーもう!好きに私を解釈してよ!」と言う気にすらなってしまう。なんて自分本位。

これって、もしかして満月現象か???
(満月になると、メンタル的にむしゃくしゃしちゃうらしい。)

この話は置いといて。

私は活動者であり続けるためにも、「何も無い私」を認めて、評価して、愛してくれるところを探している。

家族であったり、活動と全く関係のない友達(実は限りなく少ない)であったり、パートナーであったり、仕事であったり。

そう。私は仕事が好きなのである。職場にも大変恵まれているってことは前提なんだけども。

働く場において、働く人は「同じ目標に向かって取り組む同士」という目線になる。もしくは働く場に適した新しい肩書きを貰うことになる。

ということは、「○○という肩書きを持った私」から解放されるということになる。

私はそれがとても居心地のよいものだと、最近理解することが出来た。

単なる「ふくいちゃん」が心地よいのだと思う。

ふと思う。大学生活でどれだけ「職場」に救われていたのかを。

大学を選んだきっかけも、学びたいと思う軸も、自分の活動の糧になるということが理由だったからこそ、ある意味「活動者である私」から離れることが出来なかった。

(一応大学では、関係ないフランス政治も勉強したし、それも救われる居場所であった。)

でも1度、オフィスに向かっちゃえば、いちインターン生で、単なる「ふくいちゃん」「ちーちゃん」になれる。

私はすごく、その空間が心地よかった。

またオフィスに実際に行けた当時、周りにたくさんのお兄さんお姉さんが居たことも心地よかった。

必要以上にしっかりしなくてもいい。頼っていい。

私はその空間で過ごせたからこそ、「活動者の私」に戻っても、生きづらさ緩和、自殺予防について、活動について、たくさん悩んで、苦しむことができたのかもしれない。

そういうこともあるから、私は仕事が好きなんだと思う。

これまでの人生で得てしまった肩書きから解放されて、何も無い自分の努力や成果が認められることが喜びなのかもしれない。

そう考えると、大学院に行って、四六時中苦しみ続けなくて良かったのかもしれない…とも思う。 

仕事をしている私が好きで、それは「何も無い私」なのに誇らしく思える。

そう思えるのは、職場に恵まれた証拠でもある。ラッキーすぎる。

まぁともかく、そうやって「何も無い私」を好きに思うことこそ、「活動者の私」モードをオフできるきっかけになるだろう。

何事も特訓。
オフの私になりたい。「何も無い私」になりたい。

また「活動者の私」に戻ってこれるように。

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