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モヤモヤという感情を細分化してみる。#私なりの生きづらさ論

お久しぶりです。ちはるです。
noteではお久しぶりですね。

気づいたら23歳になってました。
誕生日のブログをやめてみたり、夜更かしをやめてみたり、色々なものをやめてみて、大事なものを思い出したり、思い出さなかったりしました。

私には文章を書くという過程は必要だったと気づき、ポツポツと私の言葉を貯めるところに書き貯める日々です。

皆さんお元気ですか?
寒くなりましたが、心身共に冷えきっていないことを祈ります。

今日は、私が気づくのが遅い「感情」について考えたことをば。

「モヤモヤ」という都合の良い言葉

私はこれまで生きづらさを語るとき、心のモヤモヤという言葉を多用していたように思います。

楽なんですよね。曖昧にさせておいた方が、何事も。

曖昧にさせておくことで、明確な課題、解決するべき問題じゃなく、留められますから。

ある種の思考放棄だと思います。
生きづらさ界隈だと、生きづらいのがよく分からないが故の「消えたい」「死にたい」なのかなぁと。

その曖昧さに頼っちゃうと、いずれ自分の感情を感じ取るセンサーというか、カテゴリする上での語彙力というかが鈍っていくように思います。

それらが募ると、解決しきれない生きづらさとして存在し続ける魂胆なのかなと最近考えるようになりました。

直感的に自分の感情を感じ取れる力が強ければ、語彙力なんて別にいらないのかな、とも思うのですが、
それでは捉えきれなくなった時にも、日々自分の感情も含め、人間の感情とはどんなものか、語彙というか、知識として貯めておく必要があるんだなと思うんです。

「モヤモヤ」と「それ以外」よりもっと深い細分化

赤ちゃんの感情の発達って、「興奮」から「快・不快」が追加され、どんどん細分化していくと聞いたことがありませんか?

人間って、元々固有で感情を持っているものだと感じてきましたが、感情は発達するし、追加され、増えていくものだと思うと、
当たり前に持っているものではなく、学ぶことで後天的に得られるものなんだと思います。

逆に言えば、日々感じていかなければ、感情は乏しくなり、衰えていってしまうのでは?

言葉ではわかっている感覚も、経験しないと「これってなんだっけ」「これって𓏸𓏸なのだろうか」と感覚が鈍っていくと思います。

淡い初恋とか?(冗談)

冗談さておき、感情は後天的に学び習得していくものだとすれば、

「興奮」「快・不快」「喜怒哀楽」その先のもっと細やかな感情を表す言葉たち…。

喜怒哀楽のその先を自主的に学ぶと共に、自分自身の心そのもので感情を感じ取るという動作が感情の刷り込み学習として早いのかもしれません。

そして、感情それぞれに名前をつけてあげることが、いつかの自分の苦しみを解決し、喜びをより豊かにしていくのかと思ってます。

細かい感情なら事象と結びつけやすい

私は特にネガティブな感情を細分化させることが苦手です。
本を読んだり、ドラマを見たり、色々な感情表現の場から、これってこういう感情なんだと学んではきましたが、実体験に勝る感情理解は無いのかなと思ってます。

ポジティブな感情こそ、相手を喜ばせたり、ここぞとばかりにみずみずしい感情表現で遊べたり、アウトプットの機会がありますが、

ネガティブな感情ってそうはいかない。
特に「ポジティブハラスメント」な環境下であればあるほど。

ネガティブな感情を知り、アウトプットする機会がないと、鈍っていくんですよね。

最近、会社の面談があり、
「ちはるちゃんの体調的に、仕事を増やすのは難しいんじゃないと言われて、なんか悲しかった」
という話をしたんです。

私が表向きに表現できるネガティブワードは「モヤモヤする」「うーん」「悲しい」「つらい」くらいなのですが(あまりに乏しい)、

お話を聞いてくださった方から、
「それは悔しかったんじゃないのかな?」と一言いただいた時に、

(あ私って、悲しいんじゃなくて、頼ってもらえなくて悔しかったんだ)と気づいたんです。

大きな感情の塊と事象というのは結びつきづらいですが、感情を細分化させることで事象が結びつきやすくなると、理解できた瞬間でした。

私は多分大枠で物事を捉える習性があるのですが、それを感じて上司は細分化できるようアドバイスや質問を変えてくださってるなとも思い、

ここの部分を感情にも応用できると、生きづらさの解決に結びつくなと感じました。

あとがき

会社の面談で、個人的アハ体験をして、noteに戻ってきたのですが、
自分の感情は体験した方向によく伸びているなと気づきました。

私はこれまで色んなものを諦めたり、しなかったり、というような経験が多く、
「どうせ出来ない」「私は何も出来ない」「私には価値がない」「私がやったことは成果に値するはずがない」というような偏見が形成されてしまっていました。

成功体験がきっと多くなく、挫折経験も多くなく、それよりも前の段階で折れている経験が多かったように思います。
(これは高校を辞める前)

新しい感情を知る、濃密な感情体験を今しているということは、
ある種過去を塗り替え、新しい偏見を形成する期間かなと思ってます。

相手の感情が乗り移りやすく、自分に関しては主観的に感情を察知することが難しい私だからこそ、
自らの感情が揺さぶられる体験は、生きづらさ解決とよりよい人生には重要な要素と意味づけ、

挫折も成功も、人生においていいように利用出来ればと考えました。

また気が向けば戻ってきます。
それでは*˙︶˙*)ノ"

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