作曲家(ドラえもん、仮面ライダーetc. )との出会い

あの日、私は学校が休みの日にも関わらず、大学の校舎内で「うるせぇよ。」のギタリストで同級生の内海(うちうみ)と並んで、階段横でギターを弾きながら話をしていた。そこに「音楽学科の同窓会がいまやってるんですが、どこでやっていますか?」と男性が訪ねてきた。その男性は終始、にこやかで、優しい表情を常にうかべていた。

その方と私たちは、校舎内を探し回り、道行く人に聞いたりしながら、やっと会場にたどり着いた。しかし、 同窓会はすでに終わっていて、 同窓会が開かれた形跡はあったものの、その教室には誰もいなかった。

その男性は携帯電話を持っていなかったので、かつての大学の友達と連絡を取ることができなかった。そこでその男性は内海の携帯電話を借りて、自宅にいる奥さんに電話をかけた。自宅の机には大学の友人の連絡先が書かれた紙があるらしく、その男性はその連絡先を奥さんに聞き、メモしていた。

その男性は奥さんとの電話後、かつての大学の友達に電話し、同窓会後の二次会の場所を知ることができた。

その男性は私たちにお礼の言葉を述べ、別れ際に「私はドラえもんと仮面ライダーの曲を作っていたものです」と言いながら、校舎を後にした。

家に帰った後、その男性のことをネット上で調べても、その顔写真はなく、何年ものあいだ、この出来事は心のなかで保留状態になっていた。

去年、朝の情報番組で、その男性が特集されているのを、私はたまたま観ることができた。あのにこやかな表情を数年ぶりに観ることができた。いまその男性は病床にあることも知ることができた。

その男性の名前は「菊地俊輔」さんで、仮面ライダーやドラえもん以外にも、みんなが知ってる曲をたくさん作曲してきた方だった。

そして大学の後輩のベーシストが、いま「大内ライダー」と名乗ってバンド活動しているのを観ると、不思議な縁を感じる。

菊地さんとの出会いは数時間の出来事だけど、十数年経ったいまでも、なぜか心に残っている。そして、この話はここに書くよりまえに、誰にも話したことがない。だからこの話を知っているのは、内海と私ぐらい。なんでもない話だが、いつかは伝えたいと思っていた。でも、こんなにもかかってしまった。

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