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僕ら、光の下に

「シャボン玉、好きだったんだぁ。子どものころ。作ったやつ、壊したりして遊んでた」
「壊すんだ」
「そう。こう、パンって叩いて。やらなかった?」
「される側だった」
屋根まで浮かび上がる前に壊されたシャボン玉に思いを馳せながら、スカイランタンを見上げる。目線よりも、少し高いところでふわふわと漂うそれらは夜空によく映える。あたたかい、オレンジ色の光が淡く照らす屋上に僕たちは居る。母校となるこの小学校は、近くにある同じくらいの規模のところと合併して、来年度には取り壊しが始まるらしい。更地になる前に、ここでスカイランタンを上げようと決めたのは校長先生だと聞いた。いつぞや見たスカイランタンにいたく感動し、この催しを企画したらしい。物珍しさからか、町内の人たちもたくさん集まっていて、グラウンドを埋めつくしている。
「これ、紐でつながってるんだね。だから飛んでいかないんだ」
「まぁ、いくつかは飛んで行ったけどな」
手を離れて飛んで行ったスカイランタンはもう見えなくなっていた。さすがにシャボン玉みたいに壊れて消えたということではないだろう。風に流されてどこか遠くへ行ったのだ。
「これ、全部飛んでいったらきれいだろうなぁ。みんな、手、離してくれないかな?」
無茶なことを言うな、と思った。でも、見てみたいとも思った。これだけのランタンが、一斉に浮かび上がっていくところ。首が痛くなっても見上げていたいくらい、きれいなんだろうな。
「あ!安藤先生だ!」
声につられて視線を下げる。けれど僕には安藤先生の姿を見つけることは出来なかった。グラウンドには転倒防止の為にライトが点いているとはいえ、さすがに厳しいものがある。
「ほら、あそこ」
指さす先を目を凝らしてよく見てみると、確かに、居た。変わらないジャージ姿の安藤先生。
「さすがに卒業して2年だと、顔ぶれもあんまり変わってなさそうだね」
「というか、ここ合併するんだから、顔ぶれ変わらないでしょ」
「確かに!」
暫く、知った顔を探すようにしてグラウンドを見下ろす。同級生らしき姿も見つけた。よく見えないけれど、多分、スカイランタンの紐を握っている。その真上あたりにあるランタンを、シャボン玉みたいにパンっと壊してしまったら、どんな顔をするだろうか。
「そろそろ終わるんじゃない?誰にも会わないうちに帰ろっか」
「そうだね」
彼女は名残惜しそうに夜空を見上げてから歩き出す。屋上の鉄扉を押し開けて、真っ暗な階段をスマホのライトで照らす。
「きれいだったね」
「うん」
「あ、ここ、使ってた教室だ」
ふらふら、と寄り道をする彼女に付き合い立ち止まる。さすがにここの鍵は空いていない。窓越しに見える教室はとても小さく見えた。2年前、僕たちが使っていた場所。あの頃の僕たちにとって、この場所は、全てだった。
「嫌になるね、ほんと」
それなら見なきゃいい。立ち止まらなければいいのに、話さなければいいのに。彼女はそうしなかった。
「帰ろう」
「うん、ごめん」
僕たちは無事、鍵をこっそり職員室へ返して校舎を出た。まだスカイランタンは夜空に浮かんでいる。
「......何回かさ、アイツらにやり返す妄想とか、してたんだよね」
ぽつりと彼女が呟く。僕はなんと言っていいか分からずに口を閉ざす。
「本棚の分厚い辞書ぶん投げて、顔にぶつけてやりたいって思ったことあるし、バケツいっぱいに水汲んで、それを頭からぶっかけてやろうって思ったこと、ある」
「.........うん」
僕にも、思い当たる節がある。みんなの前で大恥をかけばいいのにって、アイツのせいで、運動会負けたりとかしたらいいのにって思ってた。
「安藤先生、鈍感だったから、何一つ気づいてくれなくてさぁ。ほんと、困った人だよね」
「脳筋だから、仕方ないよ」
大人は、先生は、守ってくれるものだと思っていた。そんな大袈裟にしてほしいわけでは無かったけど、でも、気にかけてほしかった。席替えの時とか、自由給食の時とか、ちょっと、考えてほしかった。
「なんで、.........なんで、私、今日、グラウンドに行けないんだろ。こんなこそこそして、なんで」
あの頃の僕たちにとって、教室は全てだった。あの教室のリーダーはアイツらで、僕たちはとても、肩身の狭い思いをしていた。教室内を動き回る時も気をつかって、なるべく目立たないように、何にも触れないように、慎重に歩いた。
「嫌になるよな、本当に」
なんでいつも、僕たちの方が気をつかわないといけないんだろう。なんで、足を竦める必要があるんだろう。見たい景色があるのに、それすらも、別の場所から見ないといけない。本当は、あの場所で、見えにくくても、人が多くても、それでも、あの場所が、良かったのに。
「なぁ、アイス、買って帰ろう」
「え?」
「花火も買う?」
「なんで、」
「あの学校、もうすぐ無くなる」
同じ規模の学校と合併する。あの場所は更地になって、だから今日、スカイランタンが上がった。最後の思い出作りに。
「僕たち、もうあの場所に帰る必要無いんだよ。だって、無くなるんだから」
あの場所は、もう2年も前に卒業している。無くなる場所に、いつまでも気をつかう必要なんてあるはずない。
「だから、アイス?」
「.........、ごめん、そこに因果関係ないんだけど、でも、ほら、なんか、この時間にアイス食べてみたかったっていうか」
「なにそれ」
あはは、と彼女が笑う。いつの間にか、スカイランタンは回収されていた。がやがやと騒がしい声が遠くに聞こえる。
「じゃあ、近くのコンビニに行きますか」
「なんのアイスにする?」
「あ、2つになってるの買って、半分こしよっか」
「いいね」

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