見出し画像

食べたいものが浮かばない、退屈な日々。

最近、食に対する欲望が薄れている気がする。

お腹が空く。でも、今、自分が何を食べたいと思っているのかわからない。

お腹がぜんぜん空かない時。ますますわからない。

いつもはすごい食いしん坊な私が、である。

先ほども、よくわからないままに朝も昼も食べていなかったので、空腹がマックスに達した午後4時という中途半端な時間に地下街で親子丼を食べた。

中途半端な時間だからお店は空いていて良かったのだが、多分これが今日最後の食事になるだろうな。

これで少しは痩せたら万々歳なのだが、体というのは不思議でそうもいかない。

きっと私の体の細胞さんは、近頃いつ入ってくるのかわからない食べ物を今か今かと待ち受けていて、いざ入ってきたなら少しも残さず体に取り入れるぞ!と張り切っていることだろう。これでは痩せるわけがない。

食べたいものが浮かばないのは辛い。

それほど、食にかける意欲が落ちているのかな。

行きたいお店はあって、今週も一軒予約を入れて友人たちと集まる予定がある。そのお店は何を頼んでも美味しいから、きっと、一口食べたら「美味しい!」といつものように悶絶するに決まってる。そんな素敵なお店なのだ。

そこに行くこと自体は楽しみなのだが、最近人と一緒に飲食店に入っても「これ!」と自分から積極的にリクエストしたいものがない、というかわからないのだ。

だからオーダーは誰かにお任せする。

テーブルに届いたものを少しずついただき、あとは会話を楽しむ。今はそれでいいか、と思っている。

一昔前までは、「これが食べたい!」とか「これを作りたい!」とかそんな食への欲求が高かった私なのに、いったいぜんたいどうしたことなのだろうか。

食べることって私にとって大切で楽しい行為のはずだった。

大好きな人たちと一緒に「美味しいね」と言い合いながら食べるのはなおさらのことだった。

旅の思い出も食と直結している。

有名な観光地のことは忘れてしまっても、街で出会った美味しいローカルフードのことは覚えていたりする。

それらをまた食べたくて、一人でも街をうろうろするくらいだ。

今、仲良く頻繁に会っている人たちとも、もう会えなくなってしまった人とも、一緒に食べたものって記憶に鮮明だ。それがたとえラーメン一杯だったとしても。

食べたいものがわからない、食べる楽しみのない自分って、なんだかとっても無味乾燥な時間を送っている人に思えてくる。

そもそも、「人間にとって食べるとは?」などと全世界へ向けて問いを投げ掛けたい気分である。

今、唯一「欲しい!」と思うのはコーヒー。

銘柄にこだわりはなく、コンビニで買ってきたドリップコーヒーを朝と晩、濃いめのブラックで飲み、外出先でカフェオレを飲むこともある。

毎日のように1日3杯もコーヒーを飲んでいるのは久しぶりだ。

カフェインを欲している私は、なんだかんだ言ってプチストレス状態なのかもしれないなあ。

食の楽しみはいつか私のところに戻ってきてくれるだろうか。

そんなこと言って三日後に美味しい投稿をしていたらごめんなさい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?