プーア博士の発明品

 町外れの森の中に、プーア博士の研究施設があった。
 大きさの異なる真っ白な直方体を二つ並べたようなその建物には、実験道具や試作品、失敗作などがあふれかえっていた。プーア博士の生活スペースといえば、必要最小限の家具を置いた一番小さな部屋とシャワールーム、トイレ、簡易なキッチンのみ。博士には家族がなく、また助手もいない。彼は日夜一人で実験を繰り返しているのである。
 そのプーア博士の元を今、一人の男性が訪ねてきていた。プーア博士にたびたび仕事を依頼する、ウォーント氏である。彼は町の中心部にある大豪邸に住んでいた。
 髪をぺっとりとポマードで固め、金色の歯を輝かし、指輪のたくさんはまった指でひげを撫ぜているその男は、すいかの一つや二つは入っていそうな腹をゆらし、厚ぼったい唇に葉巻をくわえていた。
 傍らには黒いスーツにサングラスの男が、一人立っている。
 よれよれの汚れた白衣を着けたプーア博士は、ちょっとお待ちください、と言うと、床上に散乱する道具や機械や作品を部屋の隅に積み上げた。そして木箱を二つ並べ、つぎはぎだらけの薄っぺらな座布団をのせると、ウォーント氏用の即席いすを作りあげる。ウォーント氏が腰をかけると、ギチギチ、ミシミシ、ギュギュギュと、小さな悲鳴が聞こえた。
「満腹にならずに食事のできるような道具が欲しい」
 ウォーント氏が言った。長い小指の爪で耳をほじっている。プーア博士は枯れ木のような手でひびの入った眼鏡を押し上げると、つまりどういうことで? と尋ねた。
「人がモノを食うとだな、当然満腹になる」
 爪についた耳あかを吹いて彼は続けた。「もっと食べたいと思っても、そのせいでそれ以上食えんのが腹立たしいのだ」
 プーア博士はしきりに眼鏡を上げ下げしている。
「それに、」
 ウォーント氏は自身の腹を叩いてみせる。叩くたびに大きな音が鳴り、たるんだ肉が波打った。
「医者が食事制限をしろとうるさくてな。満腹のことも食事制限のことも気にせずに食事ができる道具がほしいというわけだ」
 博士は自分の鼻を、左人差し指の先で掻いた。眉尻が下がり、見事な八の字になる。薄い唇の間からもれたのは、ため息だった。
「今回はまず、これだけ出そう」
 スーツの男が、プーア博士の前に黒色のアタッシュケースを置いた。ウォーント氏の太く短い指が、ケースを開ける。中には、札束がぎっしり、家の一つは買えそうなほど入っていた。それと同じものがもう一つ、横にある。
 しばらくプーア博士の視線が、ケースとウォーント氏の間を行き来した。氏は目を細め、口の端をぐっと上げた。唇の間から金色の歯がのぞく。は、と息をつくと、約束はできませんがと言って、博士は二つのアタッシュケースを受け取った。


 数ヶ月が経った頃、プーア博士はウォーント氏を呼んだ。ウォーント氏は一段と丸くなり、歩く様は、ゴム鞠が弾みながら地面の上を転がるのに似ていた。
「でで、できたのか」
 頬の肉をぶるぶる震わせながら彼は言った。つばきがプーア博士の顔に飛ぶ。博士はあやつり人形のようにかくかくと首を縦に振って、これです、と豆粒大のものをウォーント氏に手渡した。
 それは、黒くてぴかぴかしていた。楕円形で、つるつるしている。ウォーント氏が軽く指で力を加えると、少しだけへこんだ。指を離すと、へこんだ部分が元に戻った。
 ウォーント氏はためつすがめつそれを眺めていたが、右眉をつり上げ、唇を尖らせた。
「なんだねこれは」
 それがご依頼の品ですよ。眉をつり上げるでもなく黄ばんだ歯を見せるでもなく、プーア博士はただわずかに唇を動かした。そして、水が入ったグラスを差し出す。
「飲むのか」
 かくかくと博士。ウォーント氏は目に近づけたり耳もとで振ってみたり鼻で嗅いだりしていたが、やがて舌先で舐め、口に放りこみ、水で流し込んだ。粒そのものに味はなかったが、土臭い水に彼は思わず眉をしかめた。
 それからプーア博士は、奥の自室にウォーント氏を招き入れた。傾いた小さなテーブルの上には、パンや果物、チーズ、ワイン、肉などが雑然と積み上げられていた。
 それを見た途端、ウォーント氏は手近にあったパンにかぶりついた。肉をかみちぎり、果物にかじりつき、チーズを口に投げ入れて、ワインを一息に飲み干す。博士は一歩下がった位置から黙ってそれを見ている。
 机上の食べ物が八割ほど減った時、突然ウォーント氏は動きを止めた。手からパンとチーズが落ち、転がる。
 それから、ぐぽっ、という音と共に氏の口から、野球ボールほどの大きさのものが飛び出した。それは床に当たって何度かはね、プーア博士の足下で止まった。博士はそれとパン、チーズを拾い上げ、どうです、と聞いた。
「びっくりしたわい……」
 自らの喉を押さえ、ウォーント氏はプーア博士の左手にあるものを見ている――彼の口から出たそれを。
 それは黒くて、ぷよぷよとしていて、たぷりたぷりと音がしていた。その正体がわかった途端に、氏の腹の虫が鳴り出した。
「さっきのあれか」
 博士はそれを揺らして見せた。それが答えだった。
 ウォーント氏はおそるおそるそれに手を伸ばし、つついてみた。また、つまんだり、握ったりしてみたが、ただ揺れ、変形するだけである。ちら、と視線をプーア博士に移すと、博士はポケットから紙を何枚か取り出して説明をはじめた。
 ウォーント氏は外国語を聞くようにそれを聞いていたが、最後の一文だけは理解できた。つまりこれは、貴方が食べたものを吸収して膨らみ、ある大きさになると口から飛び出すのです……。
 博士はウォーント氏の前にアタッシュケースを二つ置いた。片方には依頼の品がぎっしり、もう一方は空だった。
 ウォーント氏は、アタッシュケース一つ分の札束と引き換えに依頼の品を受け取ると、スーツの男たちと共に帰っていったのだった。


 ウォーント氏が次に訪れたのは、それから一年経った、ある日のこと。
 森の木々は、紅葉し始めていた。
「腕が欲しい」
 木箱の簡易いすに座るなり、ウォーント氏は言った。彼はいくらかやせたように見える。黒いスーツの男が二人、傍にいた。
 腕? 博士は少し首を傾げながら氏の右肩を見やった。二の腕、肘、手首……と視線を滑らせてゆく。同じように、左肩からも。けれども彼の腕はちゃんとそこにあり、折れたり欠けたりはしていない。
 博士は眼鏡を上下させてウォーント氏の顔を見た。
「もっと、腕が欲しいのだ」
 博士はますます速く眼鏡を上下させる。
「二本では、とても足りない」
 博士は自分の両腕を見やった。
「だから、三本目の腕が欲しい」
 博士は左人差し指で鼻を掻き、小さなため息を漏らした。そしてこう言ったのである。以前あなたの手助けをするロボットをお造りしたはずですが、と。
 ウォーント氏は頷いた。「ああ、確かに」
 ならばなぜ、と博士。
「あれが不便だといっているのではない。ただ、わしにもう一本腕があれば便利だというだけのことだ」
 博士がまた首を傾げる。
「たとえば、」
 ウォーント氏は仮想のコンピュータの上にソーセージのような指を置く。
「わしが仕事をしていたとする。両腕を使ってな。そのうちに十二時になる。昼食を取らなければならないが――両腕はふさがっている。どうするね?」
 博士は少し考えて、手を休めます、と答えた。
「それでは時間がもったいなかろう。そこで第三の腕があれば、仕事をしながら食事もできるというわけだ」
 ウォーント氏がスーツの男たちを振り返る。彼らはアタッシュケースをそれぞれ二つ、つまり全部で四つ博士の前に置いた。
 博士は中身を確かめようとはしなかった。そんなものはわかりきっていた。けれどもウォーント氏は四つのうちの一つを開け、博士に示した。博士の眉尻が下がる。
 ケースを閉めると、氏はプーア博士の肩を叩いた。目を細め、口の端をぐっと上げている。博士はいつものせりふを言った。〝約束はできませんが〟。
 それを聞いてウォーント氏はさらに目を細め、二度三度頷くと、スーツの男たちを伴って出ていった。
 残されたプーア博士は、頭をがりがりと掻きながら大息をついた。


 次にプーア博士がウォーント氏に連絡を取ったのは、依頼があってから一年ちょっと経った頃だった。ウォーント氏は連絡を受けるや否や仕事を中止し、とるものもとりあえず博士の研究施設に駆けつけた。
「完成したというのは本当かッ」
 ポマードで固めた髪は崩れ、衣服は汗で肌にはりつき、呼吸のたびに大きく肩を上下させるウォーント氏は、博士の姿を認めるとほえるように言った。
 博士はもじゃもじゃの白髪頭を掻き、水を温めただけのものを飲みながら木箱の上に座っていた。ウォーント氏の声に振り向くと、ええ、と頷いてみせる。氏は博士の肩をつかむと、喚きながら彼をゆすった。博士の骸骨のような身体は、がくんがくんと激しく揺れた。
 ウォーント氏ははっとして博士の身体を離した。博士はふらふらする頭を押さえながら、一番大きな作業室にウォーント氏を導いた。
 工具や部品、試作品が乱雑に放置された部屋の中央に、見上げるほど大きな機械が据えられている。外壁が透けた卵型のカプセルの中に、座席があるのが見えた。頭頂部から伸びるコードやパイプは、後部の直方体に繋がっている。その直方体にはスイッチやレバーがいくつかついていて、どうやらそこで操作するらしかった。
「お、お……?」
 横で博士が説明を始めたが、ウォーント氏の耳には入らない。もうすぐ第三の腕が手に入るのだ。一年以上待ち続けた、念願の……。
 もうこれ以上待ってはいられなかった。説明の途中であるにもかかわらず、ウォーント氏はカプセルの扉を開けた。博士がその腰にしがみついたが、振り払われてしまった。氏は座席に座り、早く早くと促す。本当にいいんですね? と博士が確認をしてきたが、当然頷いた。ウォーント氏は、とにかく欲しかったのだ。欲しくて欲しくてたまらなかったのである。
 博士は左人差し指で鼻を掻くと、カプセルの扉を閉めた。直方体の前に立つと、操作を始める。その間もウォーント氏は喚き、せかし続けた。
 早く、早く! わしはとにかく欲しいのだ!
 プーア博士が赤い大きなボタンを押すと、機械がうなり始めた。カプセルの中に薄緑色に光る粒が現れ、ウォーント氏の身体を包み始める。光の粒が身体の上を動き回るので、ウォーント氏はくすぐったくて仕方がなかったが、ぐっと唇を噛み締め我慢した。プーア博士は黙ってそれを見ているだけだった。
 ウォーント氏は目を閉じた。光の粒が身体に入り込んでくるのがわかる。粒はどこかに移動しているように感じられた。そう、どこか一箇所に――腕の生えるだろう場所に。ウォーント氏にはそれがどこかわからなかった。緊張のあまり、体がこわばり、光の粒がどこをどう移動したのか、もはや感じ取られなかった。彼はうっすら目を開けた。
「おや」
 声を出したのはプーア博士だった。心もち眉を上げて、カプセルに近づく。
 ウォーント氏は博士の顔を見ながら、ただ唇を震わせるばかりである。彼の眉根は寄り、眼球が飛び出しそうなほど目が見開かれていた。カプセルの外壁には、彼の姿が映っていた。
 腕は、ウォーント氏の喉から生えていたのである!
 博士がカプセルの扉を開けた。ウォーント氏は座席に座ったまま、立ち上がろうともしなかった。涙のうっすらにじんだ眼で、懇願するように博士を見やった。
 プーア博士は左人差し指で鼻を掻いた。
「さきほど、腕はどこから生えるかわかりませんと説明したじゃあありませんか。それでもいいですかと聞いたら、あなた頷いたでしょう」
 ウォーント氏の身体がぐらりと揺れ、カプセルから転がり出た。プーア博士は外にいるであろうスーツの男たちを呼びに行くために部屋を出て行った。
 その後どうなったか、誰も知らない。