◇縁のつらなり

京都を訪れたのは、ちょうど一週間前。『ギア-GEAR-』という舞台作品を楽しんだり、一条戻橋や晴明神社を訪れたりしました。

今年に入って二度めの京都。
京都へは過去に四回の旅行経験がありますが、その最後は2008年。もう十年以上、この地を踏んでいなかった。それが再び訪れるようになったばかりか、今後もたびたび訪問する可能性がある。
その経緯を振り返ってみて、なんとも不思議な気持ちに満たされていきました。

まず、先週の京都訪問は、『ギア-GEAR-』をもう一度観たいという気持ちから決定したものです。では最初がいつだったのかというと、今年の六月上旬。『ギア-GEAR-』を紹介してくれた絵描きの方が京都で展示をすると知り、京都行きを計画しました。
この絵描きの方を知ったのは去年の十二月。愛知の某ギャラリーで行われたアートコンペの作品が、感情にものすごく刺さったからです。じゃあアートコンペを見にいったのは何故かというと、応援している作家さん方が参加されていたからなんですよね。作家さん方とはとある物書きの方をきっかけに知り合い、物書きの方とツイッターで繋がったのは好きな作曲家が共通していたからなんですが、その作曲家も、わたしがツイッターを始めた理由も、音楽ゲームに深く関係がある。その音楽ゲームを始めたのは、以前の職場で親しくなった後輩が遊んでいたからで……。
そんな風に遡っていくうち、ふと頭を掠めた疑問。

もしも、この縁のつらなりが、どこかで途切れていたとしたら?

たとえば、アートコンペに足を運ばなかったとしたら。
わたしは感情に刺さる作品にも、その作者にも出会うことはなかったでしょう。また彼をきっかけに『ギア-GEAR-』という舞台作品を知ることもなければ、京都を訪れる機会も失われたままだったかもしれない。

あるいは、違う縁とつらなっていたらどうでしょう。

アートコンペで感情に刺さったのが、ほかの作品だったら。わたしが興味を抱くのは別の作家さんだったでしょうし、交流が始まるどうか分かりません。始まったとして、受ける影響は異なっていたはずです。

いくつもいくつも浮かぶ、“もしも”の可能性。
つらなりが途切れていたケースも、違う縁とつらなるケースも、まとめて“別の選択肢に進んだ場合の展開”と言えると思います。わたしはそれを、無数に想像してしまう。嬉しいものも、悲しいものも、喜ばしいものも、寂しいものも……考えつく限り。
そうして、実際にもたらされてきた縁に思いを馳せるとき、とても奇跡的なことなんだなと感じる。何かが違えば、永遠に無縁のものだったかもしれない。数多に存在する可能性の中、わたしに繋がった希少なもの。

もっとも、別の選択肢に進んだわたしも、同じように“もしも”の可能性を考えて、似たようなことを思っているのかもしれません。
「あのアートコンペを見にいっていたら……」なんて。行かなかったわたしが、想像しているかもしれない。
考えは尽きませんが、もうこれくらいにしておきましょうか。像を結ばない可能性よりも、いま確かに繋がっているものを大切にするほうが、きっと大事なことですから。