◇閃きが降りるとき

「閃き」という語を使いながら、「降りる」という言葉を選んでしまった。けれどそれが、あの感覚を表すのには相応しいと思ったんです。
ずっとずうっと高い場所から、すとんっ、と何かが自分の中に落ちてくる。そんな、感覚。その瞬間に全身を駆け抜けていくものは、快感と呼んでもまったく差支えがありません。

まさしく今日、それが起こりました。ただしすぐにメモをとれる状況ではありません。だからその機が来るまで、忘れないよう必死に頭の中でめぐらせていた。いざチャンスが訪れたときは慌てていたせいか、いつも以上に雑な字。走り書き、いや殴り書き。
内容はnoteに書くネタや考えている小説の展開……ではなく、いま読み進めている作品の、読解のヒントです。じつは昨夜、それについて簡単なメモを起こしていました。

ふだん、考えていることに関してのメモはあまり起こしません。というのも、言葉にしてしまうと、言語化できない部分を切り捨ててしまう気がするから。そういう部分が大切なこともあるのです。
だから明確なフレーズやイメージが浮かんだのでもない限りは、思考の海にぼんやり漂わせている。そのうちに何かと何かが結びついて、新しいものが生まれてくることもあります。
でも昨夜メモを作成したのは、考えたいテーマや注目している要素がここ数日で一気にふくらんで、いったん整理する必要があるだろうと踏んだから。増えすぎた項目は思考を圧迫し、かえって滞らせてしまいます。そこで、必要最低限の言葉を並べて、箇条書きにしていった。見たら思い出す、タグ付けのようなもの。

おそらく、今日の閃きはそのメモが功を奏したのでしょう。

降りてきた閃きが適用できるのか、きちんと検証する必要はあります。けれど、無理やり詰めていたパズルのピースをはめる方法が分かったような、変に結んで雁字搦めになった紐の解き方が見出せたような、そんな感覚がある。とてもとても、わくわくしているんです。

もしも間違いだったとしても、また探すだけ。正解にたどり着くことだけが目標ではありません。その作品についてあれこれ考えを巡らせていく、それを楽しむことが目的でもあるのだから。