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恋する人が濃縮された日記

「ビギナーズ・クラッシックス 和泉式部日記/川村裕子 編」

古文初心者ならびに学生時代以来の古文という身にとってありがたい。
川村裕子先生による口語訳と解説は噺のように軽快な語り口ですいすいと読み進みたくなっていた。歌のやり取りを「激辛調味料」「塩辛」「クリーミー」と形容されているユーモアもまた絶品だ。古典の普及を願い、力を尽くす川村裕子先生に敬意を表する。

さて、「和泉式部日記」についての感想を述べる。
亡き想い人を忘れられずいられつつもその弟の気持ちに揺れる和泉式部が綴るこの作品は日記といより恋愛小説に見えた。
解説にて日記というより創作なのではないかという説もあること、創作に寄せたという見解もあると知り納得した。
いずれにせよ恋に揺れ、恋の駆け引きを楽しむ和泉式部がかわいらしい。
歌の教養の深さに畏れ入り、歌を使ったとんち、やり取りに魅了されたことは言うまでもなし。

そんな中、疫病を患い逝去したのは疫病流行の最中に関わらずフラフラ夜歩きしたという為尊親王の自業自得であるのに、為尊親王が非難される理由は新中納言や和泉式部だと糾弾されてたことに呆然とする一方、人によっては怒りや不満の矛先が全く違う方向に向かってしまう性があるものだと感じる(特大ブーメランであることは承知)
その弟である敦道親王は敦道親王で噂で自身を振り回し和泉式部に「貴女を信じられない」と度々言い放ち、牛車で情事を交わせ、邸に迎えるとなった寸前に「出家する」と騒ぎ立てていた。意図があったにせよ和泉式部に甘ったれている。
「躁鬱の気質なのだろうか」と見たと同時に振り回される和泉式部が不憫なように感じた。
散々言ったが要するに「面白かった」のである。

それにしても、いつの時代も「恋が生き甲斐」と思う人はいるのだなと思う。時代に連れて「恋愛」「性愛」「結婚」以外にも生き甲斐があることを人類は知りつつある(もちろん犯罪や非人道的な行為、他者を貶める行為は除く)
しかし和泉式部が生きたのは「恋こそが生き甲斐」という時代だった。
その時代で清さんは『枕草子』、ジェンダーと自分の人生は自分で見極める強さを書いた『とりかえばや物語』の作者の底力に感服した。

改めて古典もとい古文の面白さに魅力を感じた1冊であった。

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