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だから夫婦は面白い


結婚、もといパートナーというものは実に面白いものであるなあと常々感心する。

ライフスタイル、時代の変容に伴いその形も変わってきている。

色々見聞していてここ最近思うことがある。パートナー、結婚というのはバディ、「共闘相手」ではないだろうかと。
(通ずるかはさておき、個人の見解で共闘相手と言えば星司と夕子、アントマン&ワプス、ヴェノムとエディ、トラスクとヒロユキ、Zとハルキ、ケンゴとアキトである)

仕事と家事については自分の身の回りのことは自分で行う、共同および協同で行うこともあれば、分担もある。個別、共同、協同、分担か。どれがしっくりくるかは2人次第であろう。

精神面については傷の舐め合いはしない。互いの脆弱さを理解し受容し許容する。嫌なことは嫌と言い、然るべきことを叱責し怒号する。お互いの性質はもちろん、時間や仕事、境遇やプライバシーを尊重し互いの領域を把握している。だからこそきもちのいい関係となり、体調不良、疲労困憊、心が憔悴していれば、それらを補い快復までサポートしたり、限界があれば専門的且つ社会的支援を活用する機転と知恵を持ち合わせるといったのを見受ける。

自分以外は他人であること、自立と自律を確立し、孤独すなわちソリテュートの恍惚を知り、孤立の恐ろしさを理解している者同士だからこそ共存し得るのだろうというのが共闘相手という間柄なのではないだろうかと考える。

そしてこれは長い長い話し合いの末出来上がる関係なので、その忍耐力、度量の深さは畏れ入るのである。

上げ膳据え膳なことがあるのも面白い。精神面についてはお聖さんの云う「男を育てるのも女である」のも面白い。(単なるホステス、パトロン、父および母の代役ということではないのは言わずもがなである)

ケンカ0もあればしょっちゅうケンカすることもある。そういうコミュニケーションもあるのかあとまたまた感心する。

微笑ましさと羨望と僻みがあるのは承知の上で、「こんな筈じゃなかった」「あの人はああだこうだ」「あいつはいつもあんなんでこんなんで」「稼ぎが少ない」「家の中がなっていない」などなどの「鬱憤を晴らしたい」「自分は悪くない」「なんて自分は可哀想なんだ」「こんな自分、相手は嫌だ」と怒っている人々を見ることもある。

一時的な快楽と欲求に従ったためであろうかと観察する一方、順応していくために発散して自我をリセットしまた頑張ろうと奮い立たせているのかもしれないと考察もする。

だから夫婦、パートナーは面白いものだなあとつねづね感心するのである。