この世でいちばん大切な人を亡くした #2
人が生きて行く上で、他者との関わりは無くてはならないものです。とはいえ、それは人生のステージに於いて少しずつ意味が変わっていきます。友人や恋人、パートナーに求めるものは、例えば10代の中学生と30代の既婚者では、大きく意味が違うでしょう。
人間は年を取っていくと、どんどん悲しい思い出が増えていきます。その多くは、離別による悲しみから来るものでしょう。
たとえば私は、千葉県の京成線沿線に、悲しい思い出がとてもたくさんあります。そして彼女を失った今、私は一人で京成線に乗ることができません。駅まで向かおうとすると悲しみが私に襲いかかり、足を踏み出して駅に入ることができないのです。
本八幡駅の美味しいベトナム料理屋さん
美味しい馬肉を出す、船橋駅の居酒屋
ちょっと寂れたアーケードが良い味を出している、八千代台駅
船堀競馬場前駅から歩いていける、ショッピングモールららぽーと船橋
そのすべてに、彼女との思い出がいっぱい詰まっています。彼女が美味しそうに馬刺しを食べていた姿を、今でもはっきり思い出します。ららぽーと船橋で買ってあげた靴は、とても喜んでいました。彼女はパクチーが大好きだったので、ベトナム料理店にはよく行きました。
当時は、これら全てとても大切で、とても幸せな思い出でした。写真もたくさん撮りました。しかし彼女の死とともに、それらがすべて悲しみの記憶に変成してしまいました。写真を眺めても、私の目からはぼろぼろと涙しか出てこないのです。写真の彼女は幸せそうに笑顔を見せており、それがさらに残酷に私の心を突き刺すのです。
だから、私は京成線に乗れなくなってしまいました。あらゆる場所に「地雷」が埋まっており、ふとした拍子に彼女との思い出が噴き出してしまうのです。それは止めることができません。
私も彼女も、「攻殻機動隊」が大好きでした。特に彼女は、半ば冗談で半ば本気で、全身を義体化したいとよく言っていました。そうすれば、自分の精神疾患も病気がちな体も、きっとすっかり治って、強いメンタルと体を手に入れられると夢見ていたのです。
一方、私は純粋にSF的な観点から、攻殻機動隊が大好きでした。そのため、二人で攻殻機動隊関連のイベントによく行きました。家で一緒にアニメも見ました。池袋の芸術文化劇場に、「VR能 攻殻機動隊」を一緒に見に行きました。彼女と一緒に見ることで、楽しい思い出をたくさん作ることができました。
しかし彼女が亡くなった今、私は、あんなに好きだった攻殻機動隊を純粋に楽しめなくなってしまいました。
可愛らしいタチコマの動きを見ると、彼女が「タチコマ、かわいいなぁ」と言っていた姿を思い出すのです。草薙少佐が動くと、「あんなカッコいい女性になりたい」と少佐に憧れていた彼女が、目の前に出てくるのです。
自分が本当に大好きだった作品が、こうして悲しみに埋め尽くされていくのは、本当につらいです。
生きて行く上で、大事な人との別れというのはどうしても避けられません。しかし、別れとは、その人との別れだけではないのです。その人との思い出、すべてが悲しみに変わる瞬間でもあるのです。彼女とはとても気が合ったため、博物館や美術館、アフタヌーンティー、ステキなカフェ、大きな図書館、あちこち行きました。そのどれもが、私も彼女も大好きな場所でした。今となっては、どれもが悲しみの場所に変わりました。
私は20代で母親を亡くしましたが、そのときは20代ということもあり、この悲しさにまで至りませんでした。
確かに母は亡くなった。でも前向きに生きていこう。と思えるだけのエネルギーがありました。しかし、30代を越えて迎えた最愛の人の自死は、あまりにも、あまりにも衝撃的でした。
最愛の人の死を乗り越える。それはいったいどういう状態でしょうか。埋め尽くされた悲しみを克服して、再び平穏な気持ちで向き合うことができる状態を指すのかもしれません。しかし、そんな状態が、私に来るでしょうか。
私には、彼女の存在があまりにも大きかったため、どうしても克服できると思えないのです。
(つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?