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この世でいちばん大切な人を亡くした #1

私は、愛していたその人のことを、パートナーと呼んでいました。

私のパートナーは、10代の頃から長いあいだ精神疾患が続いており、特に双極性障害(Ⅱ型)に苦しんでいました。双極性障害とは、一昔前は躁鬱病と呼ばれていた病気です。ちょっと聞くと、躁があるぶん、ただの鬱病より良いのでは無いかと思いがちです。しかし違います。双極性障害は、ひとたび鬱が訪れると、躁の時におこなった数々の行動を思い返して自己嫌悪に陥ってしまう。そして鬱が何十倍にもなってのしかかる、とてもとてもつらい病気なのです。

一方の私は、結婚してから急速に夫婦仲が険悪化し、鬱病が猛烈に悪化していました。離婚してからも結婚のトラウマは癒えず、毎日をビクビクしながら過ごしていました。そんなとき、後にパートナーと呼ぶことになるMさんに出会いました。彼女と話すことで、私は少しずつ結婚のトラウマと鬱病が軽減されていきました。
Mさんは、私にとって、この世でいちばん大切な人になりました。彼女と付き合って同病相憐れむ仲で6年、お互い心をもっとも許せる仲として愛し合っていました。

2023年の春、パートナーは自ら命を絶ち、この世を去りました。

パートナーという呼び方は、私が好んでよく使っていました。人生を共に過ごす仲間であり、しかもこの世で最も信頼がおけて、最も愛しており、最も大事なひと。そういう意味を込めて初めてパートナーと呼んだとき、彼女もとても気に入ってくれました。それ以来、私はSNSなどで彼女のことに触れる際は、パートナーと呼んでいました。(たとえば、「付き合っている人いるの?」と聞かれると、いつも「パートナーがいます」と答えていました)。

パートナーとは、結婚はしていませんでした。私は自らの離婚にひどく傷ついていました。
この文章を書いている今(2023年)でも、離婚した相手から、怒られたり責められたり怒鳴られたり泣き叫ばれたり物を叩いたりと、あらゆる方法で私を責め立てる記憶がいつもよみがえります。私は、とても恐怖を感じていました。結婚は一生したくありませんでした。

彼女も過去につらい経験があり、結婚はしたくないと言いました。そのため付き合い初めの段階から、結婚はしないとお互い決めていました。パートナーと籍は入れていませんでしたが、事実婚のように接していました。

本当は、「事実婚でした」とはっきり書きたいのですが、同棲する直前に亡くなってしまったため、断言することができません。

ふたりで同棲するため、新しいマンションを借りました。新しい家具を買ったり、二人でとてもうきうきした日々を送りました。私は引っ越しに少し時間がかかりそうだったことと、パートナーに「一人暮らしをしたことが無いので、しばらく一人暮らしを満喫してみたい」と言われたこともあり、先にパートナーに引っ越してもらいました。私は遅れて引っ越してくる予定でした。

これが、私の犯した大きな誤りでした。

亡くなってしまった今、パートナーと呼ぶことに抵抗が出るようになりました。そのため、この先は基本的に、私が愛したパートナーのことは単に彼女と記載します。

10年ちかく母親と2人で暮らしていた彼女は、一人の時間を手に入れてしばらく経つと、だんだんメンタルのバランスがおかしくなってきました。双極性障害など多くの精神疾患は、大きな環境の変化を避けるべきというのは私も知識として知っていました。しかし、私と暮らすということで前向きに見えたので、私は油断してしまいました。本当は、何度も気が付けるチェックポイントがあったはずなのです。しかし私は、そのすべてを見逃してしまいました。

2023年春のある日、彼女は大量の向精神薬を服薬してしまいました。あとで見つかった遺留品から、大量の飲酒もしていたようです。

第一発見者は、私でした。彼女にLINEを送っても返事が無く、既読も付きませんでした。しかし半日くらい音沙汰が無いのは日常茶飯事だったので、私は何も疑わずに新居を訪れ、マンションの扉を開けました。「ただいま」と言って、「おかえり」を予期していた私が発見したのは、床に倒れて冷たくなっていた彼女でした。既に息を引き取っており手遅れでした。

彼女を一人暮らしさせたことは、私の人生最大の失敗でした。双極性障害は、とても自殺率の高い疾患です。だから、いつでもそばにいてあげないといけないのです。彼女の母親は、毎日彼女を起こし、朝ご飯を作ってあげて、夜は必ずおやすみなさいを言い合い、彼女に寄り添っていました。

一人暮らしになり、私は良かれと思って彼女を放置してしまいました。彼女も一人でいることを好む性格だったため、はじめは満喫していたようです。しかし、どこかで少しずつ、進む道がおかしくなっていきました。

私は、彼女が進む道がちょっとおかしくなっていることに気がついていました。突然攻撃的になったり、言動が乱暴になったり、また逆に鬱が強くなったり、酒量が増えたりしました。しかし彼女は長年メンタルを患っていたため、私はこれらの症状をそこまで重要視していませんでした。確かに最近、彼女は精神的に不安定なようだ。でも前から何度もあったことだし。と。

これは私の判断の大失敗でした。大きな危険を一つ忘れていたのです。あるいは、心のどこかで逃げていて、忘れていたふりをしていたのかもしれません。彼女はメンタルの不安定を、環境が大変化した初めての一人暮らしで迎えているのです。いつ自らの命を絶ってもおかしくないのです。

その可能性が現実となり、私は筆舌に尽くせぬほど後悔しました。私の人生のこの先が、漆黒の闇に包まれたように感じました。冷たくなった彼女の亡骸を抱きながら、私は彼女の名前を呼び、「どうして、どうして」と叫ぶことしかできませんでした。

数日経って、私は彼女のお母さんに土下座して謝罪しないといけないと思いました。お母さんが本当に大事に大事に育ててくれた彼女を、私はほんの数ヶ月で、死に追いやってしまったのです。

これまでの40年近い人生の中で、私は最大の悲しみを感じました。彼女はもう、この世にいない。しかもそれは誰のせいでもない、私の行動が大きな原因なのです。私は大声で泣きました。ぼろぼろ涙をこぼしました。声にもならない声で、うなるように泣く日が続きました。

彼女が亡くなって半年近く経った今も、毎日涙が止まらないのです。そして私は筆を執り、彼女との思い出を書き記すことにしました。

(つづく)

付記:精神疾患でつらい日々を送っている皆様へ

この文章を読む人の中には、自ら双極性障害その他の精神疾患を持っており、つらい日々を送っている方もいるかもしれません。

鬱で動けない方、もう自ら命を絶ちたいと思っている方に伝えたい。あなたがいてくれるだけで嬉しい人、気が休まる人は、周りに必ずいます。

体が動かず、仕事に行けなかったり家事ができなかったり、そして一日横になっているだけの自分に絶望するのは確かにつらい。でも、あなたがいてくれるだけで、本当に嬉しいんですよ。あなたが布団に寝てるだけでもね。

私も、彼女が私の家に遊びに来たとき、ずっと私の布団で寝てくれていて、それだけでとてもとても幸せでした。彼女が寝ている姿を眺めながら、仕事をしたり本を読んだり、それは本当に幸せな時間でした。

ふと目をやれば、そこに彼女がいる。こんなに嬉しいことはありません。

だから、鬱がひどい人、何もできないと気に病んでいる人、そういう人に本当に言いたいんです。あなたを愛する人は、必ずいます。そして、あなたがいてくれるだけで、本当に幸せなんです。だから、あなたがそこにいてくれて欲しいんですよ。

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