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あの頃なりたくなかった人間でいないだろうか

東日本大震災の時、
わたしは中学1年生だった。
中学1年生のわたしは、
勉強なんて要らねえだろう、
なんで大人は個性を認められないのだろうと
思っていた。
地震と、原発事故。
避難者に対する、無知がゆえの行動に
心底腹が立った。

1ヶ月後、進級して中学2年生になった。
「少年の主張」に取り組むと、
クラスの8割は震災関連の内容だった。
学年代表を選ぶ日、
ある同級生は「勉強の大切さ」を主張していた。
その中で、こんな主張をしていた。

パイプを積む時、裾野が狭いと積み上げられる数は少ないが、
裾野が広いと積み上げられる数は増える。
勉強とは、その裾野を広げる行為ではないか。

2011年「少年の主張」学年代表の同級生の主張より

これを聞いたこと、
顧問の先生に言われていた、
「無知ほど怖いものはない」の言葉の意味が腑に落ちたこと、
原発避難者に対する、
無知であるがゆえの行動の背景、
これらが合わさって、
わたしは勉強の大切さを、
無知でいることがひとを傷つけることを、
知性とは、
いつまでも磨き続けなければいけないものであることを知った。
それから、自分なりに勉強を頑張っていたと思う。


あれから時が経ち、わたしは「成人」した。
大学も卒業したし、働くようになった。
今は求職中だけど。

2023年の3月11日、わたしは出勤していた。
その時、知人と、わたしよりひと回り年下の、
知人のお子さんがいらっしゃった。
その知人のお子さんは、
東日本大震災発災時のわたしと同い年だった。

直接知人や、知人のお子さんと話した訳ではないけれど、
いらしている様子を見てふと思った。

今のわたしは、こどもだったわたしが、
なりたくなかった大人になっていないだろうか、と。


わたしが「こども」の頃に起きた、
印象的な出来事は、
東日本大震災と新型インフルエンザの流行だが、
この知人のお子さんは、
その新型インフルエンザが流行した年に生まれている。
わたしが印象に残っている出来事が起きた年に生まれた方が成長して、
わたしが印象に残っている出来事が起きた時と、
同い年になっている。
多感で、色んなことを感じて、もがいていた、
あの頃のわたしと同い年になっている。
それがものすごく感慨深かった。

あの頃のわたしは、
黒髪でないなら染めろとか、ピアスをつけるなとか、
マフラーは禁止とか、
そういう校則が嫌だった。
1人の人間として尊重せずに関わる人が嫌だった。
誰かをバカにしたり、否定したりする人が嫌だった。
先生でも親でも同級生でも先輩でも後輩でも、
どんな人でも嫌だった。
日焼け止めを塗っている、という噂のあった男の子に、
キモい、と言っていた友達の発言は許せない。
同級生の、障害のあるきょうだいが通っている学校を、
バカにする意味で使った同級生の発言も嫌だった。
後輩に手紙を書いた時に、
自分がずっと関わっている後輩の手紙だけ、
カラフルなペンを使って書いてきた先輩のことは、
その瞬間嫌いになった。

こどもだから、
と声色や「扱い方」を変える人も嫌いだった。

けれど、
わたしはそんな人間になっていないだろうか。

ルールに対して、現状に即しているかを議論せずにいないだろうか。
問いかけに対して、否定していないだろうか。
誰かの存在を否定する言葉を選び、態度を取っていないだろうか。
構造を見ずに、論じていないだろうか。


東日本大震災発生から、13年が経った。
ついにひと回りしていた。
わたしもとうに成人していた。
2009年に生まれた方も、
あの時のわたしを追い越した。
もうすぐ、2011年に生まれた方が、
あの時のわたしに追いつき、追い越す。

けれど、
なりたくなかった大人になっていないだろうか。

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