しふぉん

社会教育を学んだあと、縁ある土地の非営利組織で働いていた群馬県民です。 完全なる自己満…

しふぉん

社会教育を学んだあと、縁ある土地の非営利組織で働いていた群馬県民です。 完全なる自己満です。

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  • 振り返りシリーズ

    わたしにとって大きな転換点になった、2011年3月11日を振り返ったnoteです

  • 言葉シリーズ

    言葉や言語を扱ったnoteです

  • 土地シリーズ

    土地にかかわるnoteを集めました

  • 学部生活振り返りシリーズ

    学部時代の振り返りです。

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申し遅れました、しふぉんです。

早いもので、 このnoteを書いて4年以上になりました。 色々と状況が変わったので、 改めて自己紹介をしようと思います。 名前と出身地と年齢と【名前】しふぉん 下の名前から、 高校の友人が付けてくれました。 ニックネームとしては最高の名前だけど、 実は本名はそんなに好きじゃないんですよね。 2音節の名前なので、 もしも苗字も2音節になったらバランスが悪い(ように感じる)し、 何より、言いにくい…。 今の苗字とセットだと、 もっと言いにくいです。 ※あくまでも、わたしの

    • 大好きではなかったあの頃と、いま

      わたしは中学生の時、吹奏楽をやっていた。 その時、あるアンサンブルコンサート (以下、アンコン)に出た。 そのコンサートのパンフレットには、 学校名と種別、メンバーの名前が載っていた。 そして、わたしの在籍していた中学校だけでなく近隣の中学校や高校のチームも出演していた。 高校に進学して初めての春休み、事件が起きた。 このアンコンに出ていた中学校の吹奏楽部に所属していた、顔も知らず交流もない同級生に、 わたしの本名をTwitterで晒された。 晒されたのは、アンコンのパンフ

      • あの頃なりたくなかった人間でいないだろうか

        東日本大震災の時、 わたしは中学1年生だった。 中学1年生のわたしは、 勉強なんて要らねえだろう、 なんで大人は個性を認められないのだろうと 思っていた。 地震と、原発事故。 避難者に対する、無知がゆえの行動に 心底腹が立った。 1ヶ月後、進級して中学2年生になった。 「少年の主張」に取り組むと、 クラスの8割は震災関連の内容だった。 学年代表を選ぶ日、 ある同級生は「勉強の大切さ」を主張していた。 その中で、こんな主張をしていた。 これを聞いたこと、 顧問の先生に言われ

        • 学びたいというけれど

          「君はうちのゼミじゃなくて、Mゼミの方が向いていると思う。 定員オーバーになって、面接になったら落ちるよ。」 と指導教官に言わしめたにもかかわらず、 そのゼミを選んでから6年が経つ。 しかも、指導教官の講義はCしか取ったことがない。 ついこの間、14期として12期と13期に迎え入れられ、 15期を迎え入れた新歓で指導教官が、 「5の倍数の期は節目の期なんだ」と挨拶していたと思っていたら、 16期を迎え入れて自分が卒業していた。 その16期も、17期も卒業して、 今年入ゼミし

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        記事

          お誂えの振袖が欲しかった

          子どものころから、着物が好きだった。 踊りをやってたからか、 着物をたくさん持っていた祖母に憧れていた。 中学生くらいの時から、 成人する時に、自分の振袖を買ってもらうことを楽しみにしていた。 周りのひとには、 流行りの着物を着るひとも多いだろうから、 式自体は母やおばの振袖を着てもいいな、 とは思っていた。 大学受験を終えると、 着物屋さんのパンフレットが届くようになった。 レンタル、購入、ママ振。 着物と同様に、選択肢はたくさんあった。 それと同じ時期、 父がガンに

          お誂えの振袖が欲しかった

          それはバタフライエフェクトか一撃か

          いわゆる「アラサー」なり、 同級生どころか後輩にも、 結婚したり、こどもを迎えたりしたひとを見聞きするようになってきた。 先輩にも、わたしの同い年の友人にも、 2人目のお子さんを迎えたひともいる。 後輩にもいるのだろう。 自分の中高生時代も、 学部生時代も年々遠くなり、 ついには中学生どころが高校生だったのも、10年前になっていた。 それだけ、 出会い関わってきたひともたくさんいるが、 自分に近しいひとたちが「親」になるようになり、思うことがある。 わたしは誰かを「毒親

          それはバタフライエフェクトか一撃か

          プロパンガスは悪者ですか

          母方の祖父母は、ガス屋さんを営んでいた。 そして母を含めた3人のこどもを育てた。 そのガス屋さんは、 わたしが生まれて1年くらいで、 祖父が亡くなったこともあり、廃業した。 そのこともあり、 わたしにはガス屋さんの記憶も、 祖父の記憶も、あまりない。 けれど、母やおじ、おばやいとこから色んな話を聞いた。 祖父と一緒にお得意様に配達に行ったこと。 当時はガスボンベの自動切り替えがなかったこともあり、 お湯が出なくなった、と夜に祖父が電話を受けていたこと。 インフラにかかわる

          プロパンガスは悪者ですか

          「ジェンダーレス」ならそれでいいのか

          「性」というものは二分されるものでなく、 それぞれ多様な形があると知られるようになってきた。 自身の性のあり方(性自認)や、 「恋愛」のあり方(性的指向)など。 こどもに名付ける際に、「性にとらわれない」名前を付けるひとも「増えてきた」ようで、 ここ数年の名前のランキングには、 「ジェンダーレス」な名前も上位にある。 洋服やおもちゃ、持ち物を選ぶ際に、 「性にとらわれない」ものを選ぶひともいるだろう。 学校の制服も、「ジェンダー」の観点からブレザーを採用する、 という

          「ジェンダーレス」ならそれでいいのか

          もう戻れない時を祈り、つなぐ

          毎年この時期になると、新聞で 「御巣鷹山の事故」の記事を読んでいた。 「地元」ではあるが、 地理的には離れている場所で、 生まれる12年前に起きた事故で、 わたしの知る限り周りに関係者もいない。 実体験はないに等しいが、 夏を感じさせるものの1つでもあった。 でも、「御巣鷹山の事故」は印象に残っている。 それはこの事故があった日が、 友だちの誕生日でもあるからだ。 盆入りも近いこの日の夕方、 ひとり旅に出ていたお子さんが、 仕事をしていたお父さんが、 ひとを元気づけてい

          もう戻れない時を祈り、つなぐ

          袴まとめ

          3年前に、大学の卒業式を迎えた。 式は短縮、在学生と保護者は会場内立ち入り禁止だったけど、やってもらえた。 この新型コロナウイルスの暴挙みてると、リスクは正直あったとは思うが、やってもらえてよかった。 なかったら一揆を起こしてやろうかと思っていたけれど。 その卒業式で袴を着た。 思ったことがいくつかあるのでまとめてみる。 髪の毛写した写真があるといい話 女学生が着ていたようなような二尺袖と袴を選んだわたし。 髪型はおさげ風にした。 編み込みして、残りを三つ編みにしてもら

          袴まとめ

          言語は、言葉は、美しい。

          ひとが考えるベースであり、 ひととひととの関わりの中に必ずあって、 そのひとをそのひとたらしめる要素の1つ。 それが言語である。 時にゆらぎ、ひとを殺めることもあれば、 救うこともあり、 道を切り拓くこともあるのが、言葉である。 言語も言葉も、 それぞれの尊さと美しさを持ち、 その土地を表している。 雪の多い地域であれば、 「雪」を表す語彙は多くなる。 蚕に支えられていた地域では、 蚕に敬意を払って「お蚕さん」と呼ぶようになる。 これが尊さであり、美しさである。 こっち

          言語は、言葉は、美しい。

          「意見する」には何がいるのか

          18の秋の学び まだ母校を志望していた18歳の秋、現役生も受ける講義に参加する機会があった。 わたしは別に行っても行かなくてもいいと思っていたけれど、担任の先生の勧めで行くことにした。 その日は出身学部の必修講義である、それぞれの学科に所属する教員によるリレー講義があった。 のちにわたしの所属することになる学科のリレー講義で、たまたまその日の講義を担当していた先生の言葉が今も印象的である。 自分の見えている世界を、自分の包丁だけで切り取って、 それを調理することがどれだ

          「意見する」には何がいるのか

          3年ぶりの「高まつ」に思う

          「高崎まつりのこと、"高まつ"って言うんさ」 高校の時の友人は、そんなことを言っていた。 高崎市民が全員そうに言うのかは分からないけど。 それに影響されて、わたしも「高まつ」と言うようになった。 高崎なんて大都会なわたしと、 そこがホームな友達。 わたしは高校進学するまで高崎まつりさえ知らなかったけど、 友達にとって、「高まつ」は親しみのあるものだったのだと思う。 でも、わたしは長らく「高まつ行きたい」と思うことがなかった。 心身ともに、 病まなかったのが不思議な高校時代

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          3年ぶりの「高まつ」に思う

          うらみます、というけれど

          高校生の時、死ぬほど嫌いなひとが2人いた。 1人は、ひとの失敗をあざけ笑い、入試を終えた中学生に「邪魔」と呟いていた。 世界中の卑罵語を集めてもわたしの心を表現できないほど、 きっと、そいつより嫌いになるひとはいないだろうってほど、大嫌いだった。 もう1人は、デリカシーなくひとの本名をTwitterで晒しあげ、ある科目で学年最高点を取っていた。 その科目は、努力すればわたしも学年最高点を取れそうな科目だった。 得意科目で取られたとしても悔しかったが、「努力すれば取れそう」な科

          うらみます、というけれど

          場所の記憶をつなぐ

          「昔あそこは○○があったいね〜」 「あったね、よく買いもん行ったよ、懐かしいね〜」 っていうような会話をしているのは、 今までは大概、わたしより年上のひとだった。 あったものは、デパートだったり、酒屋だったり、食堂だったり、いろいろ。 わたしが聞いた中で記憶に残っているのは、母の実家近くにあった百貨店である。 中学を卒業する前日、高校受験の合格発表を控えてドキドキしている母のもとに、母の受験校の制服も仕立てていた別のお店から 「多分受かってるだろうからうちで制服仕立ててく

          場所の記憶をつなぐ

          パパ

          わたしは両親どちらかにそっくりな顔ではないが、 全体的に父親似であるらしい。特に、鼻。 口元は母親似な気がするが。 ただし、性格はほとんど父親もしくは父方の祖母に似ていると思う。 わたしの好きなものの中にあるのが、 万年筆とスーツとドライビンググローブ。 この3つは、全て父の影響で好きになった(と思う)。 他にも父に影響されたものがあるけれど。 万年筆。 持っているだけで大人っぽくなれる気がした。 高校に入った時、入学祝いとして父にねだって買ってもらった。 親子して大好きな