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ゆびさきとタブレットは苺の匂い、味はどこまで味なのか

子どもがわたしの頰に手をおくと、ふわっとただよう苺の匂い。手づかみ食べの季節は過ぎて、フォークで食べているはずなのに、しっかり香るこれはたしかに甘酸っぱい、間違えようのない苺のもの。

苺の匂いはとても強いんだなあと思って、それから、匂いからこんなにはっきり想起される苺とはつまり、この匂いなんではないか、と思った。

ためしに鼻をつまんで苺を食べてみる。甘みと酸味のあるジューシーな何かだとは感じるけれどそれだけで、わからなさにモヤモヤする。つまんでいる指を離すと、これは苺だね!という匂いが喉から鼻に通ってきて、そうそうこれこれ、美味しいって、ものを食べるって、こういうことだよなと思う。

「美味しさ」とは、基本的な感覚情報と、一緒に食べる人や思い出や知識や期待値といったさまざまな要因が統合されて、最終的に判断されるものだという。だからどんな高級酒よりも真夏に炎天下で働いた後に飲む発泡酒の方が美味しかったり、三ッ星シェフが最高峰の素材でつくる料理の感動が生まれて初めてのデートで好きな人と食べた駅ソバの美味しさを更新しなかったり、でも同じものを食べてもその時の美味しさは二度と蘇らなかったりする。

そして「美味しさ」の基本にある「味」もまた、五感が統合されてつくられている。

美味しさって感覚だけじゃないうえに、味って味覚だけでもないのだ。

味を構成する感覚としてはまず視覚。腐ってないか、食べるかどうかの判断があって、美味しそうなら食べたくなる。

あと触覚。口に入ったあとも、舌触りや歯ごたえや喉越しが味の一部になる。

そして味覚。味覚は甘味、塩味、苦味、酸味、旨味の5つが基本味とされていて、重要なのは飲み込むかどうかの判断をすること。有害だと判断すれば飲み込まず、そうでなければ嚥下する。味というとどうも美味しさについて考えるけれども、身体のベースはもっと野生的なところにあって、味覚の目的は嚥下判断であるらしい。

たしかに人としての経験値の少ない子どもは、毒の可能性がある苦味と、腐っている可能性がある酸味が苦手だといわれる。だからビールとかコーヒーとか薬味とか、大人になって美味しさを感じられるようになったものって苦みのあるものが多い。

逆に、味覚が判断するのはそのあたり、苦いか甘いか酸っぱいか、これを飲み込むかどうかまでで、その先の、これが何であるかの判断は嗅覚が負っているのだとか。

そうだよね、そうだと思ってました。一度ひどい風邪を引いて鼻が完全に詰まったとき、食事がほんとうに味気なかった。甘いやしょっぱいと、歯ごたえや舌触りはあるのに、何を食べてるのか実感がなくて、味はあるのに味がなくて、ほんとうにつまらなくてもったいなかった。

そのときのことを思い出しても、鼻をつまんで苺を食べてみても、味ってかなり匂いだと思う。苺を食べる時には、口の中の舌ではなくて、喉から鼻にかけての一帯が、これが苺だって教えている。

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さて、最近2歳になった子どもはほとんど大人と同じものを食べている。離乳食をつくる面倒も、食卓の惨状に途方にくれることも、食後の雑巾がけにうんざりすることもなくなった。

そこで新たにうーんとなっているのは、歯磨きをしたがらないということ(もちろん他にも色々ある)。自分ではやるけれど、仕上げ磨きをさせてくれない。

どうしたものかと思っていたところ、キシリトールのタブレットをご褒美にすることでうまくいってるという話を耳にしたので、試しにやってみた。

いちご味のタブレットは甘味+香料で構成されていて、ここでも苺のアイデンティティは匂いだってことを確認しながら、いざご褒美作戦を決行するとこれがびっくりするほど大成功。それまで経験したことのないスムーズさで終了した仕上げ磨きに、なんていいアイテムを見つけたんだろうと、わたしはほくそ笑んだ。

ところが、である。3日目の朝、これまで「ごは~んやったー!なっと~やったー!」と、喜んでご飯を食べていた子どもが、タブレットを食べたがり、朝食を拒否する事態が起きた。

口では食べないと言っても、食べないことなんて一度もなかった子どもである。一番好きな食べ物は焼き魚で、白菜の味噌汁をおかわりして食べる彼女が、苺も大好きだけどだからってご飯を食べないなんてことはなかった彼女が、ご飯を拒否していちご味のタブレットを要求している。

それはなんだか人間を象徴するような出来事に思えて、ちょっとぞくっとした。

美しい山里に持ち込まれたタブレット(ここでは電子機器の方)が人々を変貌させ、山が切り開かれ景色が一変する。そんなイメージが浮かんだ。

美味しさは脳が統合的につくりだしているものとはいえ、ベースには身体が必要とするものが美味しいという動物的な感覚がある。

でも子どもを育てていると感じるんだけど、子どもって人工物が好きだ。電子機器とか、プラスチックとか、キャラクターとか、お菓子とか。

人がつくるものは多くの場合、人の欲望に応えたり刺激したりする特性を備えているから、価値観や思想による判断のない子どもはその魅力に素直に反応するんだろう。きっとどんなにハイテクノロジーで人間から遠く離れて感じられるものでも、私たちが手にするものは、それはそれで人の動物的な部分と結びついている。

しかしこれがそこまで魅力的だったとは。タブレットはいちごの匂いのする甘味の「塊」で、その今まで触れたことがない凝縮感に子どもは一瞬で虜になてしまった。

作戦は早々に見直しを迫られたわけだが、見た目も舌触りも歯ごたえも苺とは別物の、でもたしかにいちご味だと思える平たい粒をポリポリ食べながら、その魔力には感じ入ってしまうのだった。

参考

村本和世「味とにおいの奏でる食のハーモニー(味わいの脳科学) 」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sgf/23/1/23_1/_pdf/-char/ja

【連載】子どものつむじは甘い匂い − 太平洋側育ちの日本海側子育て記 −
抱っこをしたり、着替えをさせたり、歯を磨いたり。小さい子どもの頭はよくわたしの鼻の下にあって、それが発する匂いは、なんとなく甘い。
富山で1歳女児を育児中の湘南出身ライターが綴る暮らしと子育ての話。
前回の記事:子どもから他の女の匂いを感じた日と、香りの自由みたいなもの

【著者】籔谷智恵 / www.chieyabutani.com
神奈川県藤沢市生まれ。大学卒業後、茨城県の重要無形文化財指定織物「結城紬」産地で企画やブランディングの仕事に約10年携わる。結婚後北海道へ移住、そして出産とともに富山へ移住。地場産業などの分野で文筆業に従事しつつ、人と自然の関係について思い巡らし描き出していくことが、大きな目的。

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