自分の心のバランスの保ち方 哲学の効用

毎日いろんなことが起きます。

なんでこんなガタガタするんだ!と思うけど、思えば私は昔からそういった「あ〜だこ〜だ」に巻き込まれるたちなのかもしれません。

でも、あ〜だこ〜だ、に振り回されるのではなく

あ〜だこ〜だを、交通整理できる人なのだろうということも自覚しています。

そしてその「交通整理」をするときにまず行うことは

「これはいま、何が起きているのかな」ということの本質をに気づくことです。

現場の管理や、教育支援をしていると、会議や、面談の合間や終わりがけに、「これはもしかして、こうゆうことですか」「あなたのおっしゃりたいのはこういうことですか」ということが相手にとってぴったりだったりし、、「なんでそうわかったんですか?」「そうですね!まさしく!」などと言われたりすることが多いんです。そして、「どうしてそこに原因があるとわかったんですか?」「どうして納得させられるのですか?」と、びっくりされることがよくあります。

それは私にはとっても霊的で、肉感的なもので、それこそ「おりてくる」という感じでしたので、とても感覚的なものだから説明できないなあと困っていました。

でも、ある本に出会いました。「武器になる哲学」(山口周 著)。

この中に、全く私と同じ体験が書かれていました。

その時のことを彼はこのようにいっています

「私がアタマでゼロから思想を組み立ていることは、ほとんどありません。(中略)哲学を学ぶことを最大の効用は、@いま、目の前で何が起きているのか」を深く洞察するためのヒントを数多く手に入れることができるこということです」

これを読んで、全ての人がその事象を理解できるとは思いませんが、私はとってもしっくりきて、とても自分と同じだと思いました。

私は、人の気持ちや物事の成り立ち、ゴタゴタ複雑な事象の課題をどうしたら解決できるか、というよりも、「いま何が起きているのか」を俯瞰してみることが大好きなのです。きっと。

そして、年を経て、それが課題解決という目的に到達できるようになってきました。こう振り返ると年を取るのも悪くありません。

中学生高校生の頃、人はなぜ人を愛するのか、人はなぜ泣くのか、親はなぜ子を愛するのか、など、当たり前の命題を様々な著書で解決しようとするために哲学書や倫理、心理学の本を好んで読むのが好きでした。正解のない答えを心の中で思い描き、周りの大人を冷静に見つめる子供だったのかもしれません。

今日、この秋一番の朝の冷え込みと寝不足のせいで、朝から腰を痛め、出勤が遅れました。腰の痛みは時として肩こりを強め、頭痛を起こします。

終業後、J-RIHDOオフィスで、製薬会社のWEBセミナーを終えた上司と打ち合わせをするときに、自分の発見を伝えました。

その時は、彼女と私は似ていると伝えましたが、後で、少し違うかもと思いました。

私は、「自分のアタマでゼロから思考を組み立てていることは、ほとんどありません。(先述の著書より)」
ですが、彼女は、ゼロから本質を生み出すような人だからです。

そんな私と彼女は、本質の見方がとても似ています。

そんな彼女と会うと、朝からの頭痛が嘘のように飛んでしまいました。

本当に毎日毎日いろんなことが起きる。

でも、お互いがお互いを理解できる人がいるというだけで、心も体も軽くなるものだなあ、と深夜に車で帰りながら思いました。

  


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