木村藤子

全国的にその名が知れわたるきっかけとなったのが、1990年の「ヘビ騒動」。地元で行方不…

木村藤子

全国的にその名が知れわたるきっかけとなったのが、1990年の「ヘビ騒動」。地元で行方不明になったニシキヘビが現れる場所、時間を透視によって言い当てた。著作の累計発行部数は150万部を超える。

マガジン

  • 【ほぼ日刊】気づきの波動

    ほぼ日刊で、気づきやスピリットの覚醒のために必要な考え方、知識の波動をお届けします。この知識が溜まって溢れ出すとき、新たな世界の扉が開かれるでしょう。

  • “青森の神様”木村藤子 あなたに幸福をもたらすマインド

    テレビや雑誌、書籍といったこれまで私が活動してきた媒体は、その性格上、〝書けない事柄〟〝言ってはいけない事柄〟が山ほどあり、ある程度の制限があるのが事実です。 noteではそういったしがらみをすべて外し、世の中の不思議、理解不能な事象、幸福とは、不幸とは、人間とは、生きるとは、死ぬとは…人の人生を解明し、幸福へとつなげるために必要なマインドをお伝えいたします。

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仕事がつらい人のための気づき

思い込みの弊害  思い込みはある考えに固執し、それが真実だと信じ込んでいる状態です。よい人間関係を築いていくうえでの思い込みの障害についてお話をしたいと思います。  まず、人間はなぜ自分でもよく分からないうちに“思い込み”をしてしまうのでしょうか?  “思い込み”には、お酒のように頭を麻痺させる作用があります。根拠のない事柄でも、我の強さや柔軟に考えられない頑固な性格や、親や周囲からの刷り込みなどによって強く思い込むことで、“考える”という行為をしなくなってしまいます。

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    • 失敗をさせる勇気

      母親の愛は無償で無限です。我が子のためなら何でもしてあげたい、苦労をさせたくない、という思いは誰しも持つものでしょう。子供の前に立ちはだかる障害を取り除き、平坦な道を作ってあげたい。そんな気持ちは、母親の本能とも言えるかもしれません。 しかし、ここで立ち止まって考えてみる必要があります。子供の目の前にある全ての障害を取り除くことが、本当に子供のためになるのでしょうか。

      • 究極の美

        私たちは誰しも、心の中に「完璧な美」の幻想を抱いています。それは遠く輝く星のように、私たちの心を魅了し、憧れを掻き立てます。しかし、その幻想に近づこうとすればするほど、私たちは深い幻滅に陥る危険性があります。なぜなら、現実の世界に存在するものは、決して私たちの想像の中にある完璧な姿とは一致しないからです。 例えば、長年憧れていた観光地を訪れた経験を思い出してみてください。写真や映像で見た景色は息を呑むほど美しく、その地を訪れることが長年の夢だった方も多いでしょう。しかし、実

        • 天気と心の関係:変わるのは外ではなく内側

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          ¥5,000 / 月
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          ¥880 / 月

        記事

          天気と心の関係:変わるのは外ではなく内側

          私たちの日々の気分は、しばしば天候に左右されるように感じます。雨の日は憂鬱になり、晴れた日は元気が出る―そんな経験をした人は多いのではないでしょうか。しかし、同じ雨でも、しっとりと落ち着いた気分になることもあれば、逆に憂鬱になることもあります。同様に、晴れた日でも、爽やかさを感じる一方で、暑さにイライラすることもあるでしょう。

          天気と心の関係:変わるのは外ではなく内側

          覚醒体験の罠

          人生において、心が大きく揺さぶられる体験をすることがあります。突然の閃き、深い悟りの感覚、あるいは世界が一変したような感覚。このような体験を「覚醒体験」と呼ぶ人もいるでしょう。しかし、このような体験そのものに価値があるのでしょうか。そして、その後どのように歩んでいくべきなのでしょうか。 覚醒体験は確かに強烈で印象的なものかもしれません。しかし、重要なのはその体験自体ではなく、その体験をどのように捉え、その後どのように生きていくかです。

          覚醒体験の罠

          笑うから楽しい

          私たちは普段、自分の感情は外の世界の出来事によって引き起こされると考えがちです。楽しいことがあるから笑い、悲しいことがあるから泣く。これは一見、当たり前のように思えます。しかし、実際はもっと複雑で興味深い関係があるのです。 実は、私たちの感情表現が、目の前の出来事をどう捉えるかに大きな影響を与えているのです。笑うから楽しく感じ、泣くから悲しく感じる。この考え方は、私たちの日常生活の見方を大きく変える可能性を秘めています。

          笑うから楽しい

          責任ある自由

          「自由に生きたい」という願いは、多くの人が抱くものではないでしょうか。しかし、その「自由」の意味を、私たちは本当に理解しているでしょうか。一般的に、責任から逃れることが自由だと考えがちです。しかし、実は逆なのです。全てに対して責任を持つことこそが、真の自由への道なのです。

          責任ある自由

          喜怒哀楽は幻想

          私たちの日々の生活は、喜怒哀楽のさまざまな感情によって彩られています。喜びに心躍らせ、怒りに顔を赤らめ、悲しみに涙し、楽しさに笑顔がこぼれる。これらの感情は、私たちの人生に欠かせない要素のように思えます。しかし、実はこれらの感情は、私たち自身が作り出している「設定」によるものなのです。

          喜怒哀楽は幻想

          家族関係は簡単ではない

          私たちの人生において、家族ほど身近で複雑な関係性はないかもしれません。血のつながりがあるからこそ、時に甘えが生じ、言葉の重みを軽視してしまうことがあります。しかし、その同じ血のつながりが、簡単には縁を切れない強い絆ともなります。 日々の生活の中で、つい口にしてしまった言葉が、後々まで尾を引くことはよくあります。特に家族間では、何気なく発した一言が、予想以上に相手の心に深く刻まれることがあります。これは、お互いを大切に思う気持ちが強いからこそ起こる現象かもしれません。

          家族関係は簡単ではない

          得ると失うシーソーゲーム

          私たちの日々の生活は、様々な選択の連続です。朝起きて何を着るか、昼食に何を食べるか、休日をどう過ごすか。一見些細に思えるこれらの選択も、実は「得ること」と「失うこと」のバランスの上に成り立っています。 例えば、仕事で成功を収めるために長時間働くことを選んだとしましょう。確かに、収入が増えたり、キャリアが前進したりするかもしれません。しかし同時に、家族と過ごす時間や自己啓発の機会が減少するかもしれません。これは決して良い悪いの問題ではなく、単に選択の結果なのです。

          得ると失うシーソーゲーム

          人生の豊かさを育む3つの要素

          人生の豊かさを構成する3つの重要な要素、新しいことへの気づき(アハ体験)、集中(熱中)できる対象の存在、そして社会的な自立。これらの要素を真に手に入れ、バランスを取るためには、単に待つだけでは不十分です。ここで重要になるのが、積極的な姿勢と能動的なアプローチです。

          人生の豊かさを育む3つの要素

          思い込みの罠

          私たちは日々、様々な「こうしなければならない」という思いに囚われています。しかし、そのほとんどは自分で作り上げた制限に過ぎません。これらの思い込みから自由になることで、人生はより豊かになる可能性があります。 思い込みの正体

          思い込みの罠

          盲目的な自己愛

          「自分を愛する」「自分を受け入れる」というメッセージが社会に溢れています。これらの考え方は、一見すると心地よく、多くの人々に受け入れられています。しかし、この考え方を深く掘り下げると、いくつかの重要な問題点が浮かび上がってきます。

          盲目的な自己愛

          自分を知ると人間関係がよくなる

          私たちは日々、様々な人と関わりながら生きています。家族、友人、同僚、見知らぬ人々。その中で、時に心地よい関係を築き、時に摩擦を感じる。そんな人間関係の波の中で、あなたは自分自身のことをどれだけ理解していますか?

          ¥300

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          ¥300

          「こうしなければ」の呪縛を解く

          私たちの心の中には、「こうしなければいけない」という声が常に存在しています。この声は、まるで厳格な教師のように、私たちの行動や選択を絶えず監視し、指示を出し続けています。しかし、立ち止まって考えてみてください。この声は本当にあなた自身のものでしょうか?

          「こうしなければ」の呪縛を解く