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形のないものへ対価を払う選択

ふと、自分の人生これでいいのかなって。
ぼんやりと空の流れる雲に問いかけたくなる時が人生に一度や二度くらいはあるかもしれない。

すぐそばに窓がない時には、特に焦点を合わせることもなくエアコンの配電盤や職場内のお知らせが掲示してある掲示板なんかに視線を投げてみたりして。
なんの生産性もない時間が流れる。それでもいい。

人生はとにかくせわしい。
生まれてみたら死ぬまでもう走りっぱなし。
選択の繰り返し。
間違った方へ舵を切ってしまったら同じ時点に戻ることは許されない。
使ったお金は返ってこないし、口から出た嘘は引っ込むことはない。

そんな中で人生について考える瞬間が来たのであれば、大切に扱ってあげた方が良いのではないか、と思う。
例外でなく私もそうだったな、と思う。

未来を変えるための選択をするのは怖い。
現状維持の方が楽だから。
現状よりも、もっともっと悪くなったら無意味だと感じるから。

それに現状を変えるのにはすごくエネルギーがいる。

つらい時でも、我慢すれば喉元を過ぎてくれるんじゃないかと思って少し耐えてみたりするのだけれども、実のところつらさの根本が変わらなければずっと喉元に居座りっぱなしだ。

でもそれって、その状況から一歩二歩離れなければ気づけないのよね。
当人であるうちは、そんなふうに思うことも出来ない。

一歩二歩離れるためのきっかけ。やっぱり私はこれだったな。

自分の人生これでいいのかな。
これにひたすらに向き合う時間を強制的に作る選択をしたからこそ、未来のことたくさん考えられて今それに基づいて行動できていると思う。

それに一歩二歩離れるには、誰か一緒に歩いてくれる人を作って一緒に肩に背負ってもらった方がいい。
これ以降、ずっと私には一緒に歩いてくれる人が常にいるようになったしそういう環境を選択しているように思う。いい選択ができる自分になったな。

でもね?
いわゆるコーチングとかコンサルタントとかっていうのは無形商材にあたる、形のないサービス。

形に残るものには大金を払えても形の残らないものには無理ですよって方もまだまだ多いような印象があって、私も初めは結構勇気のいる決断だった。
だって数十万の覚悟料は…やはり高いよね〜

ただ、今言えることは、
一見形の残らないように見えるものでも、自分で形になるように残せばいいだけなんじゃないかと。

  • 人生で何を大切にするか

  • ビジョンメイキング

  • アクションプラン

これらは実際自分でワークに取り組んで手元に残ってくれた大切な財産。
今の自分の行動指標になって、選択の基準になって、直感の材料になってくれているし、時々今後のことを考える時にもやっぱり根底にあるのはこれで。

考えあぐねて悩みながら文字に起こしたこれらのものは、後から見てみると立派に『形に残るもの』になってくれていたので、「あぁ、これが覚悟料で得たものだったんだ」と清々しく納得したものだった。

自分で形あるものに変えればよかっただけだったんだ。
無形商材に対してお金をお支払いして得られるものは自分次第ってことだから、このお金に足るに何かを相手から得られるかどうかなんて悩む必要がなかった。
形に残らないと決めるのは早い。

そんな心境に辿り着いたのでやっぱり一度経験するって大事だね。
今日はそんなお話でした。



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