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苦手だった女性も今は友?

今、あるWeb媒体のコラムニストに応募するための記事を考えている。
与えられたテーマに沿って800〜1200文字を作成する。
その文章は、よくあるお悩み解消の文章じゃなくて、そんな側面から考えているのね、みたいな「面白い文章」がほしいと。

その文章を考えていたら頭の思考回路が脱線して「女性」について書きたくなったので、noteに残すことにした。

私の中で女性といえば、若い頃から「苦手」これが大半を占めていた。
しかし、40年以上生きてきて、やっとその女性に苦手意識がなくなってきた。半ば「仲間意識」さえ湧いてきている。完全に苦手は消え、身内感さえ出てきていて、「まあ悪くないんじゃない?」くらいには昇格した。

その結論は、やはり、子育てをしていることが大きいだろう。
人間は動物だ。メスである私には子どもができて、群れで子どもを育てようとすると、子どもを入れるコミュニティに入る努力をした。その努力をしてみた結果、受け入れてくれた同性のメスが多かったことにある。

一番最近の「女性」いいなの話。

私の住むマンションには、子育て世代が何組か住んでいた。子どもの話もできるし、繋がりを持っておいた方がいいのは山々だ。だけど私は、深く関わるのが面倒で、積極的に関わろうとはしなかった。だって、どんな人かわからないし、トラブルに巻き込まれたら、こちらが引っ越さないといけない事態に巻き込まれかねないから。慎重に慎重に時を重ねて状況把握をしながら暮らしていた。

もちろん、持ち前の人当たりの良さは全面に出してにこやかに挨拶はする。それは必ずだ。相手が話し始めれば付き合うし、でも深追いもしない。地域を生き抜く私の中のルールである。

そんな付き合いの中では、深いつながりはできない代わりに、平穏で静かな生活を送ることができた。たまには、マンションの1階の鰻屋の煙が凄かったとか、隣のマンションのギャラリーのスタッフが、うちのマンションの横でタバコを吸っているのがむかつくとか、そういう類のことは日常的にちらほらあったけど。頭を突っ込まなければ過ぎていく日常。

上の階のおばちゃんは気さくでお喋り好きだけど詮索しないし、下の階のおばあちゃんもシャッキリしている人だったけど、穏やかな優しい人だった。

ベランダで大声を出し続けたり、ゴミ出しに行くとたむろって噂話に興じるようなおばちゃん連中とか、そんなテレビで見るような、おかしな人に遭遇するような、生活を脅かすような住人が住んでいなかった。運が良かった。

夫は仏像に似ている。来るもの拒まず去るもの追わずの人で、わざわざ招き入れることはない人だ。私がつれてくる友人と楽しくお酒を飲む程度。私たち夫婦には余計な波は立ちにくい。だから私たちはただ凪の中、穏やかに穏やかにマンションでの生活を送ることができた。

しかし、そんな静かで穏やかな生活は子どもが年長になった年に終わりを迎えることになった。いよいよ自分の陣地から出る時が来てしまったのだ。

同じ年長さんに上がったママたちに、進学する小学校を聞いてみた。
どうやら、娘と同じ学校に行く子がいないことがわかった。

がーーーーーーーーん、である。

どうしよう。子どもはいずれ友達を作れるだろう。明るい性格だから。だけど、親は子どもを地域で育てていく以上、情報交換も必要になる。まずは子どもが小学校に上がった時に、何かあれば見守ってくれる上級生や、一緒に帰ってくれるお友達。またはこれからいくことになる小学校の詳細を知っている、相談ごとのできるママ、必要だ。ひとりでは子育ては絶対にできない。

やるしかないか。

私も腹を据えたのである。

今はこんな平穏を望む私だけど、若い頃は、イケイケだったんだ。
人見知りって何?人類皆兄弟でしょ?くらいのイタイ若者でした。
知り合いと知り合いを合わせるのも、飲み会の幹事も慣れたものでして。
人との距離感を大いに間違えていたあの頃。
ああ、穴があったら入りたい。記憶を抹殺したい。

だからね、本気出せばやれるんだけどね。

ある日、マンションのお隣の棟に住む、顔見知りのママをひっ捕まえました。会えば必ず挨拶してくれるにこやかな方。
「急にごめんなさい。子どもが今度、来年小学校に上がるんですけど、送り迎えとかどうしてました?」と切り込む私。

「ああ、心配ですよね。うちは上の子がいたんで一緒に連れて行ってもらったりしてました。他のおうちでも最初は親が送って、そのうちにお友達ができて一緒に帰ったりしてたみたいですよ〜。」
さらに、
「私は一緒にいかなかったので、子どもが泣いたりしてたみたいでしたけどね。他のママから後から聞きました。」とお茶目に笑うママ。

その顔を見て、ああいい人だな、と思いながら、その情報に、そうなんだ、と少しほっとした私。

しかし、わがやはひとりっ子なので、兄弟には頼めない。まだ心配。こっからが正念場。と思っていたら。

「もし、誰も一緒に行き帰りできなかった時は一緒に連れて行ってもらえませんか?」なんて口が勝手に言ってしまった。

「え?ああ。うちの子今度4年生で男の子だけど、大丈夫かな?言っておきますね。」なんて言ってくれた。

「ありがとうございます〜〜」なんて言って別れたけど

冷静になって考えたら、私、厚かまし過ぎないか?と思った。
お前が連れてけやって話ですよね。
違うの。私の真意は、顔見知りを作っておいて、困った時には助けてほしいって言いたかっただけ。なのになんか急にお世話をなげつけるみたいになってしまって激しく後悔したりして。

次に会った時に早速弁解した。

そうしたら、ママこう言ったんだ。

「わかります。顔見知りは作っておいた方がいいし、集団で登下校の方が安全だし。心配ですよね。大丈夫ですよ。」

すごくさっぱりした笑顔でそう言ってくれたんだ。

なんだか私が独り相撲でなんて言っていいかわからなくて急にとっ捕まえて、ぶつけたお願いを、ちゃんと根幹で理解して返してくれた。そのありがたさに、泣きそうになった。

子どもを育てていると、とにかく心配なんだ。この手から離れていくことはいいことだが、その未熟でまだ小さな体に、自立を委ねることが。その不安は親ならきっと味わっている。その感覚を理解してくれている返答だった。

心から、その言葉に感謝した瞬間だった。
女性だからこそ、子育てしているからこそ、私の心情を理解してくれたんだろうと思う。

不妊治療でズタボロだった時には、来世は絶対に猫か男で、と望んだ私も。看護師として女性の職場で働いてきて、山ほど女に悩まされた私も。
いろんな女に悩まされた私も。

「女性」もいいところあるんだなと思うことに、この歳になるとよく遭遇するようになった。

この一件もまさにそれに含まれる。



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